旅がもたらす偶発的な出会い。『自遊人』岩佐十良さんの理想の旅、その豊かさ

自遊人 代表取締役 / 岩佐十良

公開日:2023年9月5日

内容、所属、役職等は公開時のものです

さまざまな方に“いい時間”を伺いながら、「心地よい暮らし」や「理想の生き方」を教えていただき、こころとからだの健やかさのために、私たちキリンができることを考えていく「#あなたの“ウェルビーイング”教えてください」。

今回、お話を聞いたのは、雑誌『自遊人』を創刊し、『里山十帖』、『箱根本箱』などの宿泊施設を手掛けてきた岩佐十良さん。土地の持つ魅力を引き出し、旅の新しいスタイルを提案し続けています。

2023年7月に開業から1年を迎えた『松本十帖』の一室で、旅でしか得られない体験、旅という時間の真価について紐解きました。

岩佐十良

自遊人 代表取締役

武蔵野美術大学在学中に(株)自遊人を創業。2000年、ライフスタイル雑誌「自遊人」を創刊。2004年に事業の本拠地を東京から新潟・南魚沼に移し、食のプロデュースや農業問題の専門家として行政府の委員も務める。2014年、新潟県の大沢山温泉に全デザインを担当した『里山十帖』をオープン。宿としては初の「グッドデザイン賞ベスト100」など多数受賞。

01

新しい体験、発見、感動を提供するメディアでありたい

かつては温泉街として盛り上がっていた浅間温泉街(長野県)ですが、近年は宿の数も減ってしまい、衰退傾向にありました。僕たち「自遊人」が、300年続く『小柳』という老舗旅館を改装し、『松本十帖』としてオープンさせて、この夏で1年となります。

実は、僕は宿泊施設をやっているという感覚がないんです。宿泊施設ではなくリアルメディアという言葉で僕は捉えています。
雑誌『自遊人』からはじまり、編集に携わって30数年。いつも考えているのは、新しい体験、発見、感動を提供したいということ。ホテルの運営も雑誌同様に、何を提案して、どんな発見をしてもらうかという視点を持ってやっています。

例えば、僕たちが手掛ける宿泊施設の中には、書店を併設した『箱根本箱』や『松本本箱』という施設があります。これは昔の駅前の書店が担っていた役割を提供したいという思いから生まれたもの。時間つぶしに立ち寄った駅前の本屋で、なんとなく気になった1冊を買って読んでみたらおもしろかった、というような体験がかつてはあったと思うんです。
駅前の本屋さんには、知らない世界との偶発的な出会いがあった。だけど、インターネットで本を買うとなると欲しい本しか買わないし、好きなジャンルの本しか出会わない。興味のあるものしかレコメンドされなくなってしまう。偶発的な出会いをいかに提供するのか、それもまたメディアの役割だと思っています。

偶発的な出会いは街散策にもあると思います。『松本十帖』であれば、周辺の浅間温泉街を散歩したり、市外まで足を伸ばしてもらって観光するのもいい。せっかく来てくださっているので、街を歩いていただいて、そこにしかない雰囲気を楽しんでもらいたい。そのための仕掛けをいろいろと考え、提案しています。

02

何もしない時間がくれる偶発的な出会い

滞在を通して何かを感じ取ってもらうためには、本当は連泊をしていただきたいんです。連泊すると、中日ができるでしょう?その1日、朝ごはんを食べてから夕ごはんまでの間、何もしない時間が生まれる。この何もしない時間こそが贅沢だと思うんです。雲の流れを見たり、カエルの鳴き声を聞いたり、葉っぱがサワサワと風に揺れる音を聞いたりしながらなんとなく過ごしているだけで、今まで感じていた感性とは違うものが自分の中に芽生えるかもしれない。

せっかく旅行するなら…と、あそこもここもと、分刻みで計画している方が最近は多い気がします。もちろんそれが悪いとは言わないんですけど、もう少しゆとりがあってもおもしろいんじゃないのかなとも思っています。

事前にリサーチをして、ここには何があって、ここでこれを見てというのは、もはや旅ではなく“確認”ですよね。旅の本質的な価値とは違うはず。予期せぬ出会いにより新しいものを知り、こんな景色があるんだと感動する。本来、旅というのは見分を広めるためのものだったように思うんです。

人生だってそうでしょう?決まったとおりには動かないし、進まない。どんなに計画してもそのとおりにはならない。すべてが計画されていると、その計画からずれない方が正しいんだという感覚になるけど、計画からずれまくるのがむしろおもしろいと思うし、人間らしくて自然。計画からずれることでしか出会えないものもあると思うんです。

実際、偶然出会えたもののほうが、記憶に残っているという経験がある方もいらっしゃるのではないのでしょうか。そういう偶発的な発見や出会いこそが人に豊かさを与えてくれるはず。それを体験してもらうには、やはり予定を詰めこまずに、何もしない時間を過ごすことが必要だと考えています。

03

非日常を楽しむために必要な安心できる場所

僕自身、旅するときはまったく計画を立てません。ほとんど下調べもせず、行く場所だけを決めます。レストランを予約していたとしても、どんなシェフなのかとか、どういう料理を出しているかなどは調べません。調べるとつまんなくなっちゃう。旅先でも行ってから「どこへ行こう?」「何食べよう?」と考えることが多いです。

先日、ソウルに2週間いたんです。ソウル旅行って通常2泊3日くらいじゃないですか。自分自身、過去に何回もソウルに行っていますが、2泊3日とかの短期間でした。2週間もいたら飽きるかなと思ったんですけど、全然飽きない。今回も事前リサーチをせずに行ったので、ソウルの街を歩いて、気になったレストランに行って、そこで食べた料理についてもう少し知りたいなとか、この歴史について知りたいなとか、このお店がよかったからこっちはどんな感じなんだろう?とか。そうやって過ごしていると毎日やることが結構できてくるんです。今回、2週間なんとなく自分の興味のままに過ごすことによって、全然違うソウルの姿が見えてきたんですよね。

ソウル滞在のときもそうですが、旅先では長期滞在だったとしてもホテルに宿泊することが多いです。ホテルのようにしっかり守られていて、快適に過ごせる場所が確保できていれば、無計画でも安心して知らない土地の旅を楽しめるので。
ホテルの重要な側面に、シェルター的な役割があると思っています。偶発的な出会いがある一方で、突発的な事故もあるのが旅先での外の世界。非日常的な体験や想像もしていない出会いこそが旅の醍醐味ではありますが、そればかりだと疲れちゃう。旅先でもリラックスできる安全な場所を確保できていたほうが、外の世界を楽しめるはず。

僕たちがホテルを考えるときには、リラックスしていただきたいと同時に、旅先ならではの非日常も体験してほしいという思いもあります。非日常を心置きなく楽しむための安心できる場所、そんな場を提供したいんです。

04

自然の中で自然を感じながら、流されるままに。

理想の旅――。僕は、最近、山ばかり登っています。なぜ山がいいかというと、新しい景色の連続なんです。山の上にいると時間とともに景色がダイナミックに変わっていく。山小屋に泊まると見られる、夕暮れと夜明けの時間というのはものすごく綺麗なんですよ。季節によっても全然違います。これを見るために、山に登り、山小屋に泊まっています。自然の中で自然を感じながら、流されるままに。僕の理想の旅はそういう感じ。

お客様にもその感動を体験してもらいたいと思い、来年の春オープン予定で、アウトドアアクティビティに特化した新施設の開業を進めています。新潟の山奥で、アウトドアアクティビティを楽しんでいるなかで、自然ってすごいんだ、人間は自然に生かされているんだということを、体験してもらいたいと考えています。

今、SDGsへの関心が高まっていますが、SDGsというのは人間がすべてをコントロールできるという前提の考えだと思うんです。SDGsに掲げてあることはすべて重要だと思いますが、貧困も気候変動もすべてをコントロールできるんだと思っていること自体が、人間のおごり。一番怖いことだと思うんです。まずは人間が自然を知ること、自然の中であくまで生かされているということを感じてもらうことが、これからの時代を考えていくうえで重要なんだろうなと僕は思っています。

05

距離を置くことで得られる新しい視点

ここ数年、キャンプがブームになっていますよね。コロナで人気が高まったと言われているけど、僕はコロナ前からだと思っていて。その背景には、なんでもインターネットで検索できるようになったことが影響しているんじゃないかと感じています。キャンプの醍醐味というのは、たき火をぼーっと眺めながら語り合うことだと思うんです。普段だったら何もせずぼーっとしているなんてもったいないって思うのに、2〜3時間たき火を眺めるだけでいられる。あの感覚がいいんだと思うんです。デジタル化によって、決めすぎ、決まりすぎ、調べすぎの流れが進むなか、ちょっと違う世界に身を置きたいという思いが多くの人の中に芽生えているような気がします。

自然の中に身を置くことで、都市の経済活動から距離をとり俯瞰して見ることも大事だと思っています。都市の経済活動自体を否定しているわけではなくて、少し外れて見ることで得られる新しい視点があるはずなんです。

僕自身、仕事をしてるときは、「今、死んだら大変なことになるんじゃないか」などと考えるんですけど、山にいるときというのは、「別に人生って大したことないのかもしれない」くらいの感覚になります。

会社や社会の中にいると常に何かに追われているから、自分自身も自分の時間もものすごく貴重なものに思えるけど、山にいるときはそういうのがなくなる。人間というのは、自分の人生は素晴らしいものであるべきだみたいな過度な期待をしているところがあって。だから失敗したくないし、調べすぎちゃうんだと思うんです。

登山のように自然の中に身を置くでもいいし、計画しない気ままな旅をしてみるでもいい。ちょっといつもいるところから一歩引いてみる。そういうところで出会う偶発的な発見や感動が人生を豊かにしてくれるんだと、僕は思っています。

  • 撮影佐々木孝憲
  • テキスト花沢亜衣
  • 編集花沢亜衣、株式会社RIDE

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