mitosaya江口さんが自然との暮らしで感じた、日々を気分良く過ごすための工夫とは

mitosaya薬草園蒸留所 / 江口宏志さん

#あなたの“ウェルビーイング”教えてください

#エッセイ・コラム

さまざまな方に“いい時間”を伺いながら、「心地よい暮らし」や「理想の生き方」を教えていただき、こころとからだの健やかさのために、私たちキリンができることを考えていく企画を始めました。

今回は蒸留家の江口宏志さんにお話を伺うべく、雨上がりの「mitosaya薬草園蒸留所」を訪ねました。

千葉県大多喜にある元薬草園だった広大な敷地には、400〜500種類の薬草や果樹、ハーブなどが植えられています。この場所で家族4人、犬、ニワトリ、猫と暮らす江口さん。自然の中で暮らしながら、薬草や果樹などを育て、日々の小さな発見や出会いをもとに蒸留酒をつくる。そんな江口さんは、どんな風に暮らし、何を感じているのでしょう。

江口宏志

蒸留家

1972年、長野県生まれ。2002年にブックショップ「UTRECHT」をオープン。2009年より「TOKYO ART BOOK FAIR」の立ち上げ・運営に携わり、2015年に蒸留家に転身。2018年、千葉県大多喜町にあった元薬草園を改修し、果物や植物を原料とする蒸留酒(オー・ド・ヴィー)を製造する「mitosaya薬草園蒸留所」をオープン。千葉県鴨川市でハーブやエディブルフラワーの栽培等を行う農業法人「苗目」にも携わる。

01

暮らすこと、育てること、つくること。ここではすべてが混ざっている

朝は決まって4時半にニワトリたちが鳴くんですよ。僕はその鳴き声にも負けずにがんばって寝ているんですが、妻はその頃には起きて動き出しています。朝食を食べたら、娘たちが登校するのを犬の散歩がてら途中まで見送り、寄り道をして帰宅。こうして1日がはじまります。

ここにいるとなんでも手に入るわけじゃないし、暮らすには正直ちょっと不便です。欲しいものをパッと買えないし、すぐ助けてくれる人も近くにいない。何か起きたら自分でやらないといけないという環境でもある。そんな中で、自然のものを自分たちならどうやったら生かせるか考えながら、お酒づくりも含めてあれこれとやっています。僕は基本的に何かするときは、楽しいというのが優先。効率性を考えるとやる必要がないことも多いけれど、結果的に良くなることが多い。必要ないことをやりたい気持ちもどこかにあるんでしょうね。

東京で本屋を営んでいた頃は、外ではお店やシェアオフィスに行ったり、いろいろな人に会ったりして、帰宅する。仕事と暮らしが別でした。ここでは、暮らすこと、育てること、つくること、全部が混ざっています。公私が一体化していて、どちらかというと「公」の部分が家庭・生活、仕事が「私」のイメージ。生活を良くするためにこの場所があるし、それを成り立たせるためのものづくりがある。仕事と暮らしが切り分けられていた東京時代とは逆の生活になったかもしれません。

02

適度な自主性とやらされてる感。ちょうどいいバランス

東京で暮らしながらも、「自然に関わる仕事がしたい」と思っていました。ずっと思っていたというよりは、長く東京で仕事をしている間に、人が相手の仕事ももちろん楽しいけれど、自然を相手にした仕事ができないかなと思うように。ただ大自然の中にいたいとか、一から農家をやりたいとかいう考えは僕の中にはありませんでした。自分が今までやってきたことをうまく生かせて、自然があって、形づくれるような“何か”をぼんやりと思考していて。そんな時、蒸留という技術と、この場所に行き着いたんです。

ここには素材がたくさんあります。そして、それはお題でもある。採れたての植物や果実を次の人に渡すために無人販売所を作ったり、素材を長持ちさせるためにお酒にしたり。次から次へと降りかかるお題があって、自分ができることを組み合わせるとおもしろいものができる。僕はアーティストでもないし、自分がこうしたいというストイックな意思があるわけではないので、勝手にお題がやってくるような状況にしておくと、結果的にやらざるを得ないことが集まってくる。ちょうどいいくらいの自主性とやらされてる感がいいんです。

長く請け負いの仕事をやっていたので、頼られるとやりたくなるし、締め切りがないと動けない性格になってしまって。それを人じゃなくて、自然に言われると結構受け入れられるんですよね。「実がなりましたけど、放っておくと腐りますよ」と言われれば、「じゃあ乾かしましょうか」とか「お酒にしましょうか」とか。「今はできない」と自然に文句言ってもしょうがないですからね。

東京での暮らしとここでの暮らしは、大きく変わった部分はあるけれど、対象が違うだけで根本的な考え方は同じかもしれないと思っています。どちらもクライアントワーク。ここは自然というクライアントだらけです(笑)。厳しい締め切りもあるのでやるしかない。蒸留酒は締め切りを延ばすいい手段で、仕込みはあるけれど蒸留まで終わらせてしまえばこっちのもの。樽に入れておけば、熟成という時間ができます。むしろおいしくなってくれる。ウイスキーなんか特にそうですよね。締め切りの延長にとてもいいんです。

03

モノやコトの最初から最後までがつながっていく

全体的にはいまの暮らしが気に入っています。僕は大自然の中で1人で死にたいとか思わないし、都会はもう嫌だというのもない。どちらにも憧れも理解もあるつもり。ここには両方があってバランスがいい。“自然”というと、“手付かずの”とかいうけれど、本当はすごく手がかかるし、手をかけるとその分良くなる。人が来てくれるような場所になったり、自然にあるものを使って何かつくれるようになったり。結果として、おいしいものをみんなで味わう時間ができる。モノやコトがつながっていく様を、ダイレクトに感じることができるんです。

この葉っぱを乾燥させたらお茶になるなとか、お茶にすればみんなで飲みながらおしゃべりができるなとか、ここにある植物で作ったお酒をボトルに入れたら、三つ星のレストランのウェルカムドリンクとして提供されるとか。そういうつながりがすごくわかりやすい。僕は自分のお酒を出しているバーやレストランに行くのが、東京に行った時の楽しみなんです。自然の中にあったものが、こんな場所にまで届いてると思うと感慨深い。こんな風に最初から最後までを体験できるというのはなかなかないですよね。

04

飲む時に、長い時間を紐解いていく。「mitosaya」のお酒の楽しみ方

原料や製造方法がある程度決まっているお酒もあるけれど、僕らがつくっているお酒は、基本的にはその季節に採れたものや生産者さんとの出会いなどで偶発的に起こることに対応していくやり方。何を作るかというより、まず原料があって、それをどういう風に手を加えたらもっとおいしくなるか、もっと長持ちするか、もっと喜んでもらえるか、自分たちが楽しいか。そういうことを考えるのが「mitosaya」ということかなと思っています。

お酒をつくってはいるけれど、「結果的にできるもの」という意識もあります。果物を長く楽しむために発酵させてアルコールにしてしまおう。ただアルコールにするだけじゃなくて、果実味や香りを上手に引き出せるような発酵の仕方を考えてみよう。より長く保つために蒸留してみよう。もっと飲みやすくなるように樽で熟成してみよう。フレッシュさを味わってもらうようにガラスやステンレスのタンクで熟成させてみよう、など。原料ありきで、その都度最善の方法を考えていく。そして、結果的にこうなりましたというくらいの感じがいいと思っています。

このお酒は、果物やハーブをこんな風に加工して、こう発酵させて、蒸留や熟成をしたんですと。すべてひとつのつながりとして生まれたもの。それが味わいにも反映されるだろうし、飲んでいる時はそれを話したくなるだろう。お酒というのは、長い時間をかけてつくったものをぎゅっと1本に詰めて、飲むときに逆回しに紐解いていくようなものだと思います。

05

身近にいると、なんかいい。動物たちがいる暮らし

元捨て犬だった愛犬ムギちゃん。スタッフが到着したらダッシュで駆け寄り、全員に挨拶をして歓迎してくれた人懐っこい子。

ここでは、ニワトリと犬、猫も一緒に暮らしています。自然と同じくらい、動物もコントロールできないけれど、そういうものが身近にいると気が紛れるというか、なんかいいですよね。修行期間を過ごしたドイツの蒸留所は、敷地がここの4倍くらい。果樹や植物もたくさん植えていたけど、敷地の一部でラマやヤギ、孔雀、羊などを飼っていました。オーナーに「なんのために飼ってるの?」と尋ねると、「ジャストホビー」って。動物たちはなんの役にも立ってないんですよ。

でも、彼はそれがいいんだと。彼にとってそういう生活をすることが、すごく大事なんです。ジャストホビーの割に大変なんだけど(笑)。羊の爪切りなんて全身蹴飛ばされて傷だらけだし、孔雀が逃げたと騒ぎにもなって。だけど、蒸留所があって自宅があって、動物たちを育てる環境があって、すべてを含めて自分たちがつくりたい環境だったんですよね。

近くの養鶏所で譲り受けた、引退したメス鶏たち。「放し飼いで自由にしているせいか、毎日元気に卵を産んでくれています」

ニワトリは役に立ってくれていますよ。ニワトリを飼ってから生ゴミがなくなりました。彼らは雑食なので全部食べてくれるんです。そして卵を産んでくれて、僕達はそれを食べる。循環しています。よくできた動物です。ミツバチも飼うようになってから、敷地内の花の状態もよくなりました。犬もいることで、毎日散歩しようと思える。役に立たないと言いつつ、いると日々がちょっと良くなりますよね。

06

今日はいい日だったなと、ちょっと気分良く過ごせるように

3年前からはじめた、月1〜2回オープンする無人販売所「Honor Stand」。お酒やジャムなどの加工品はもちろん、その原料になっている果物や野菜、小麦粉などを販売している。

ここに移り住んで5年。近頃は自分たちだけでなく、町のことも気になっています。ここ大多喜町は日本の他の地方と同様に人口減少が進んでいて、それについてどうすればいいんだろうと考えることもあります。とはいえ、みんながみんな賑やかになる必要はないと思うんです。観光客誘致もいいけれど、そこに暮らす人たちが満足して暮らせれば、賑やかであろうと過疎であろうと関係ない。その方が通り一辺倒の地域おこしをするより長持ちするような気もします。僕らがやっている無人販売所や、金曜日に農作業をみんなで行う「Farming Friday」もそういう意味合いもあります。まわりの人たちが、ちょっと気分よく過ごせたらいいなと思い始めたこと。自分たちがやっていることが、この場所の魅力のひとつになるといいなと思っています。

植物を育てたり、土に触れたりしたい人たちが自由に参加できる「Farming Friday」は毎週金曜に開催。この日は苗を育てたり、ハーブの株分けをしたり、敷地内の植物を整えています。

ささいな話だけど、山道を歩くときに看板や標識が整えられて迷わず目的地にたどり着けたり、手すりがちょうどいい場所にあって気持ちよく歩けたり、それだけでもいいと思う。ゴージャスである必要はないけれど、住む人や訪れた人が、今日はいい日だったなと感じる場所や町になればいいなと思います。

  • 撮影土田凌
  • テキスト高野瞳
  • 編集株式会社RIDE

公開日:2022年12月9日

内容、所属、役職等は公開時のものです

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