発酵は無駄がない。おいしさと可能性を秘める発酵の力

発酵学者・食文化論者 / 小泉武夫

協和発酵バイオ株式会社 代表取締役社長 / 神崎夕紀

<前編>

公開日:2022年11月24日

内容、所属、役職等は公開時のものです

近年、ますます注目を集める「発酵」というキーワード。微生物の手を借りることで、食べ物は保存性が高まり、飛躍的においしくなる。のみならず、健康的でサステナブルな社会を実現する上でも、なくてはならない存在として、私たちの生活のそこかしこで密かに活躍を続けてくれている。

そんな「縁の下の力持ち」をめぐって、長年、発酵を研究し、そのすごさ、面白さを知り尽くした発酵学者・食文化論者の小泉武夫氏と、ヘルスサイエンス分野で発酵の可能性を追求する協和発酵バイオ株式会社代表取締役社長・神崎夕紀の対談が実現。

前編では、発酵王国日本を再発見するとともに、日本および世界に広がる、驚異の発酵文化の実態に迫る。

小泉武夫

発酵学者・食文化論者

1943年福島県の酒造家に生まれる。東京農業大学名誉教授。農学博士。専門は食文化論、発酵学、醸造学。現在、鹿児島大学、福島大学、別府大学、石川県立大、宮城県立大学ほかの客員教授、発酵食品ソムリエ講座・発酵の学校長を務める。
『食あれば楽あり』(日本経済新聞社)『発酵食品礼讃』(文春新書)、『食と日本人の知恵』(岩波現代文庫)、『食の世界遺産』(講談社)、『江戸の健康食』(河出書房新社)、『醬油・味噌・酢はすごい』(中公新書)、『超能力微生物』(文春新書)など単著は148冊を超える。また『食あれば楽あり』を日本経済新聞に29年間連続連載中。

神崎夕紀

協和発酵バイオ株式会社 代表取締役社長

1963年生まれ。1988年佐賀大学大学院修了後、体外診断薬製造メーカー入社。1992年キリンビール入社。2007年生産本部栃木工場醸造担当部長、2013年キリンR&D本部酒類技術研究所副所長、2015年キリンビール生産本部神戸工場長、2017年執行役員生産本部横浜工場長、2019年常務執行役員生産本部横浜工場長を経て2020年協和発酵バイオ常務執行役員経営企画部長、2022年1月より現職。

01

人間に恩恵をもたらす「発酵」、害をもたらす「腐敗」

近年、ますます注目を集めている発酵ですが、本日は、あらためてその魅力や可能性について、お話しいただければと思います。

小泉今、若い人からお年寄りまで、年齢を問わず、発酵にたいへん興味を持たれていますよね。そういう意味では、すでにブームではない。完全に定着して、もう日常生活の一部という感じです。

神崎発酵学のレジェンドである小泉先生に、あらためて「発酵とは?」を語っていただきたいです。

小泉発酵って、よく「腐ってるんでしょ」みたいに言う人がいますけど、まったく逆なんですよね。発酵も腐敗も、目に見えない生き物——つまり、微生物が作用する現象ですけれど、人間にとって、とてもいいことをしてくれるのが発酵です。例えば、善玉菌と悪玉菌があるとしたら、発酵は前者と考えてもらっていい。

納豆菌は納豆を、酢酸菌はお酢を、酵母はパンを発酵させたり、お酒を作ってくれて、乳酸菌はヨーグルトやチーズ、さらには漬物まで作ってくれる。つまり、人間のために役立ち、恩恵をもたらすのが発酵で、それを司る微生物が発酵菌です。逆に、お腹を壊したり、病気にしたりと、害をもたらすのが病原菌や腐敗菌ということですね。

そして、これは胸を張っていいことだと思うんですが、日本は発酵に対して先見の明がある国で、その技術力もすごい。ビールだって、最初はヨーロッパで飲まれていたものだけど、日本に上陸してからは、完全に自分たちのものにしてしまいました。日本のビールって、本当に世界一おいしいと思う。さらには、いまやワインもウイスキーも世界的な地位を確立しています。私は今、半分くらい北海道に住んでいるのですが、中標津のチーズなんて、本場フランスに負けないくらいおいしいもの。発酵って、つくづく日本に一番合った産業だな、と思います。

02

発酵大国・日本。なぜ「発酵」が得意なのか?

日本は、なぜそんなにも発酵が盛んなのでしょうか。

小泉歴史があるからでしょう。平安時代の後期から室町時代にかけて、目に見えない麹菌の胞子を手懐けて、味噌、醤油、酒などを作る際に必要となる種麹を作り、味噌屋や酒屋に売るビジネスがあったくらいですから。しかも、醤油一つとっても、ものすごく多様なものづくりの歴史がある。今ポピュラーな醤油は、大豆醤油と、魚を原料に使った魚醤くらいのものだけど、奈良時代には鳥や獣の肉などから作る「肉醤」、野菜から作る「草醤」なんてものまでありました。

神崎そうした多様な発酵が生まれた背景には、何があったのでしょうか。

小泉まずは、気候風土ですよね。湿気が多いから、食品を保存する必要があった。また日本は、まわりを全部海に囲まれている島国です。つまり、塩が豊富に採れた。塩は、腐敗を引き起こす細菌やカビを抑制する効果があります。日本に、塩を使った塩辛い発酵食品が多いのは、そういうわけです。日本で発酵文化がこんなにも進んだのは、地理的要因が大きいですね。

神崎味に対する貪欲さ、みたいなのもありそうですよね。発酵で作ったものって、ものすごく美味しいじゃないですか。塩だけでは絶対に出せない味です。一昔前に塩麹が流行りましたけど、塩と塩麹では、味わいがまったく変わってくる。お醤油だって、私たちは単に塩味が付けばいいと思って使っているわけじゃありませんよね。発酵によって、アミノ酸や旨味がぐっと凝縮されて、得も言われぬおいしさが生まれる。“あの味”を求めているわけで。一度味わってしまうと、他の塩味では満足できない体になってしまいます。私は、かつてキリンでビール工場長をしていたのですが、ビールのあの複雑な旨味だって、発酵なくしてはあり得ません。

小泉本当におっしゃる通りです。

神崎成分が分かれば、ビールだって混ぜ物で似たような味が出せるんじゃないの?みたいに言われることもあるんですけど、微生物を介さないと、あの複雑な味のバランスは作れません。日本人って、ずっと昔から発酵の旨みに触れてきているから、たぶん舌が肥えてしまっているんですよ。ちょっとやそっとのおいしさじゃ、我慢できない。そうした貪欲さが、この豊かな発酵文化を作ってきたんじゃないかなと思っています。

素朴な意見ですが、目に見えないものをコントロールしてきた、というのが本当にすごいな、と。

小泉本当にそう。目に見えない微生物を、家畜化して使っているようなものですから。想像力、アイデア、実行力の賜物でしょう。例えば、納豆菌も乳酸菌も、だいたい0.4ミクロン程度の大きさです。1ミクロンは1ミリの1/1000。そんな小さい小さい生き物なんだけど、栄養分を体の中に取り入れて、代謝をして、それを外に吐き出して——つまり、生きて、子どもを産む我々人間とほとんど同じようなことを、0.4ミクロンの体でやってのけているわけです。その生命力の強さには、感嘆させられっぱなしです。

03

必要は発明の母。世界各地のユニークな発酵食

神崎小泉先生は、世界各地のユニークな発酵食をいろいろと食べていらっしゃいますよね。

小泉日本の発酵食品も面白いですが、世界に目を向けるとこれまた面白いものがたくさんあって、食べれば食べるほど、発酵文化というものの豊かさを実感します。私は、東京農業大学で教えていた頃、国立民族学博物館に7年間ほど共同研究員として出向していた時期がありまして。そこでは、食と民族、酒と民族との関係を研究していました。主に受け持っていたのは、東南アジアのメコン川流域だったのですが、すごい発酵食がたくさんありました。特にびっくりしたのが、虫で作る醤油です。コオロギや、蚕のさなぎを材料にするんですよ。

神崎虫は栄養の宝庫ですものね。食料危機の時代に備えて、虫食も注目を集めています。

小泉一番すごかったのは、タイ北部を中心に作られている、タガメの醤油です。とにかく匂いがすごいんですよ。すっかり気に入ってしまって、タイへ出張に行くと必ず買ってくるんですけど、以前、親しくしてる漫画家でエッセイストの東海林さだお先生に差し上げたら、匂いを嗅ぐなり「あー!」とびっくりされてました。ラフランスのような、ものすごく良い匂いがするんです。

神崎タガメで醤油…!しかも、ラフランス?想像がつきません。

小泉タガメを蒸して潰して塩で漬けているだけなのに、なぜ?と思ったのですが、ある時、原因が分かりました。東京農大に、渡辺泰明さんという世界的な昆虫学の大先生がいるんですけれど、話を聞きに行ったら、これはタガメのフェロモンなのだと教えてくれました。

でも、今までで一番珍しくて変わっていたのは、グリーンランドで食べた、イヌイットの人たちが作る「キビヤック」ですね。アザラシのお腹に、海燕を300羽くらい羽が付いたまま入れて、丸ごと土に埋めて3年ほど発酵させるんです。で、中の鳥を取り出して、その肛門から発酵した体液をチュッチュと吸うんです。なぜそんなものを食べるのかといえば、彼らの住む地域が永久凍土だからです。つまり、野菜や果実が採れない。以前、キビヤックを持って帰って成分を分析したことがあるんですけど、ビタミンB1、B2、B6…と、もう人間が必要とする栄養が全部入っていました。

神崎つまり、足りない栄養素を、目の前にある食材を発酵させることで補っていた、と。

小泉その通りです。無意識のうちに、体の要求するものを発酵させて作っていたわけですね。あらゆる発酵食は、「必要は発明の母」的に生まれているんです。例えば、メコン川沿いの村では、今でも冷蔵庫なんてほとんどありませんから、魚がいっぱい捕れても放っておくと腐らせてしまう。だから、発酵させて保存する。日本だって、昔は田舎の方だと流通が十分じゃなかったから、冬は食べ物に困ったり、ビタミン不足に悩まされていた。そうした不便な生活を解決してきたのが、発酵だったのです。

神崎生きるのが困難な場所で、人が生きていくための知恵ですね。我々は今、快適に生活ができていますが、これからさらに環境問題が深刻になっていった時に、今と同じようには生きられなくなっているかもしれません。我々、協和発酵バイオとしては、来たる苦しい状況を乗り越えるためにも、発酵に大いなる可能性を感じています。

04

奇酒は中国にあり。体香る健康酒体験

小泉この対談は、キリンさんの媒体に載るんでしょ?じゃあ、やっぱりお酒の話をしたいですね。僕がこれまでに飲んだ一番珍しい酒は、中国の貴州省貴陽にあった「満殿香酒(マンディエンシャンチュウ)」です。

神崎「香酒」ということは、やはり香りに特徴があるのでしょうか。

小泉ものとしては、いわゆる白酒(パイチュウ)、日本でいう焼酎ですね。高粱やトウモロコシなどを原料にして作られる蒸留酒。平均50度前後と、アルコール度数の高い酒です。日本では中国の酒といえば紹興酒の方がポピュラーですが、中国では、実は白酒の方が広く飲まれているんです。

神崎白酒は、作り方もすごく面白いんですよね。ウイスキーや焼酎など、ほとんどのお酒は液体の状態で発酵・蒸留しますけど、白酒は固体発酵。つまり、原料を蒸して麹を混ぜ合わせたら、その固まりのまま発酵させ、さらに固まりのまま蒸留してしまう、という珍しいお酒で。だから、あんな高いアルコール度数になる。中国に出張に行くと、夜は白酒を飲むことになるわけですが、あまりの高アルコールにみんな衝撃を受けるんです(苦笑)。でも、ビールとかに比べると、酸素の足りない発酵の匂いがします。りんごっぽい、カプロン酸系の。

小泉分かります。あと、イソバレリアン酸も感じますね。…と、ちょっと専門的な話になってしまいましたが(笑)。でも、満殿香酒は普通の白酒ではありません。100年前に作られていたレアな白酒で、白檀(びゃくだん)や麝香(じゃこう)など、なんと87種類ものお香を5年ほど漬け込んで作るんです。当然高価なものだったから、当時は貴族しか飲めなかったとか。それが、貴州省の酒工場の酒蔵に残っていたのを、偶然私が見つけたんですよ。で、これが驚くべき酒だった。その時、工場の社長さんに資料室にも案内してもらったのですが、この酒のことが『中国名酒史』という本に出てきて、読んだらそこには、満殿香酒を飲むと体から香りが出てきて、さらには万病の薬でもあるというようなことが書いてあったんです。体の中に、お香を入れて邪気を払う、というコンセプトのすごいお酒だったんですよね。

ちなみに、日中友好の証として50ccくらいいただいて、一緒に行った醸造試験所の鈴木明治所長とホテルの部屋で飲んだんですよ。そしたら翌朝、驚くべきことに、小便からお香の香りが!2人して「便器からいい香りが!」「私の小便もいい匂いです!」と盛り上がったことをよく覚えています(笑)。

05

発酵は無駄がない。サステナブル社会を支えるエコロジカルなシステム

すごいお話ですね(笑)。神崎さんは、もともとキリンビールにいらして、そこから協和発酵バイオに異動されましたが、キリンビール、協和発酵バイオにとっての「発酵」とはどんな存在なのでしょうか?

神崎私は、もともとキリンでビール工場長をしていて、そこからグループ会社の協和発酵バイオに移り、現在はヘルスサイエンス事業を手掛けています。社名に「発酵」が付いているだけあって、発酵というものが、事業のあらゆる工程に関わっているんですよね。あらためて調べてみて、「あれも発酵!」「これも発酵!」と本当に驚かされました。ものを作るだけではなく、その際に出る廃棄物を処理する技術も、発酵ありき。つまり、徹頭徹尾、微生物のお世話になりっぱなしなわけです。

そして、これはビールも同じです。ビールを作る時、麦の搾りカスや排水が出るのですが、昔はこれに好気性処理をほどこしていました。つまり、酸素を必要とする好気性微生物に分解してもらっていたのですが、今は嫌気性処理を採用し、酸素を必要としない嫌気微生物に処理してもらっています。後者だと、エアレーション(酸素)を必要としないので、その分省エネが期待できるんです。一般的に合成等による化学反応には膨大なエネルギーや、大規模な設備が必要ですけれど、酵素や微生物の力を借りると、驚くほど簡単に、しかも低コストでできてしまう。

小泉微生物を使うと、本当に無駄がないんですよね。それこそ、放っておいたら腐ってしまうものでも、発酵させれば保存が効くわ、おいしくなるわで、無駄どころかプラスを生んでしまうのですから大したものです。

先ほど、札幌にも住んでいるという話をしましたが、私は、同地で水産会社の顧問もやっておりまして。そこでは、鮭の加工食品を作った際に出る内臓の処理に困っていました。相談を受けた私は、その内臓で醤油を作ることを提案したんです。で、プロデュースを買って出て、作ってみたら、たいへんおいしい醤油が作れた。「鮭醤油」という商品名で販売されていて、とても好評いただいています。さらには、この醤油を使った「石狩ラーメン」という商品も生まれました。今まで何千万円もかけて処分していた廃棄物が、商品になって利益を生むんだから、本当に、微生物様様です。

神崎弊社は、サステナブルな社会を作ることや、環境に負荷が少ない方法で商品を作ることを目標にしているのですが、我々の作る健康食品も、キリンのビールも、どちらも発酵なくしては作り得ません。そして発酵は、そもそもエコロジカルなシステムです。つまり私たちは、仕事を通して、ものづくりを通して、無意識のうちにSDGsを実践していたのだな、ということに気づかされました。普段の仕事が、そのまま「自然環境のため」に繋がっているというのは、今この社会に生きる一員として、すごく幸せなことだなと思います。

<後編につづきます。>

  • 撮影上野裕二
  • テキスト辻本力
  • 編集株式会社RIDE

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