好奇心を武器に、世界を飛び回る。ワインの常識を越え続けたメルシャンでの45年

メルシャン株式会社 顧問 / 竹内誠

公開日:2026年7月16日

内容、所属、役職等は公開時のものです

メルシャン株式会社 顧問 竹内誠

キリングループに長年勤める従業員の足跡を振り返りながら、仕事人としての信念を探る企画『キリンのDNA』。

アメリカやフランスでの長年にわたる海外駐在を経て、輸入ワイン事業を牽引してきたメルシャン株式会社の顧問、竹内誠。帰国後はデイリーワイン事業にも携わり、ワインボトルにおけるスクリューキャップやペットボトルの採用など、業界の常識を次々と塗り替えてきた。

「僕はお客様のためになることをやろうとしているだけなんですよ」

言葉の数々には、未体験の領域であっても飛び込み、常に本質から学んだ裏打ちのある体験知が滲む。まさに、キリンが大切にする「お客様本位」が一貫して宿っているようだった。

メルシャン株式会社 顧問 竹内誠

竹内誠

メルシャン株式会社 顧問。福島県喜多方市出身。1982年 メルシャン株式会社 入社。1989年より米国駐在でマーカム・ヴィンヤーズへ。1991年欧州事務所を経て、1995年帰国。2019年より現職。

01

考古学少年、ワインを知らずに入社する

メルシャン株式会社 顧問 竹内誠

福島県の喜多方市で育ちました。子どもの頃の夢は考古学者。未発見の古代文明や遺跡を見つけることを夢見ていました。大学は文学部の史学科へ進もうと思っていたのですが、父に「文学部を卒業して、どこに就職するんだ」なんて反対されてしまったんです。1970年代の終わりで、景気も良い時代でしたから。

では、どこへ進もうかと考えた時に、シャーロック・ホームズが好きだったので法学部に進みました。深い意味はなかったんですけどね(笑)。法学部で4年間、司法試験の勉強にも一通りは取り組みました。就職活動の時に考えたのは、どんな業界でも最初に就くのは営業でしょうから、それならば身近にある物を扱う会社がいいんじゃないかと。実家が日本酒の酒蔵を営んでいたこともあって、お酒には馴染みがありましたから。それでメルシャンへ進路を決めました。

でも実は、入社までワインを飲んだことは数えるほどしかありませんでした。赤、白、ロゼがあるとは知っていても、シャルドネなどの品種は分からないままでした。

02

英語もワインもわからないまま、カリフォルニアへ駐在する

メルシャン株式会社 顧問 竹内誠

入社後に配属されたのは、本社の総務部。不動産の登記、株主総会の事務局、就業規則の作成など、今で言う法務に近い業務も担いましたが、お酒の会社に入ったのに扱うのは書類ばかりでしたね。会社のメンバーとお酒はよく飲んでいましたが(笑)。

アメリカ行きが決まったのも、なんとも不思議な経緯でした。カリフォルニアのナパ・ヴァレーにある「マーカム・ヴィンヤーズ」というワイナリーをメルシャンが買収していたのですが、前任者が異動することになった。そこで誰か後任を駐在させたい、というタイミングの宴会の席で上司や同僚たちが「竹内がいいんじゃないか」と盛り上がったんです。

でも話はそれっきりでした。毎日顔を合わせていても何も言われなかったのに、3ヶ月くらいしたところで突然「あの話、決まったから」と告げられました。3ヶ月前の飲み会のことですから、覚えているのも怪しいくらいですよね。私は「2つ問題があります。一つは英語ができません。もう一つはワイナリーに行くのにワインが分かりません」と返しました。ところが一言、「行けばなんとかなる」と言われてしまったんですよね。そこからビザも自分で取り、準備の無いまま1989年にナパのマーカム・ヴィンヤーズへ飛び込みました。

私が住んだのは、セント・ヘレナという人口1500人(当時)の小さな町で、インターネットも携帯電話もない時代。アメリカ人夫婦と犬三匹・猫一匹のホームステイ先で、朝から晩まで英語漬けの生活が始まりました。土日はナパの地図を買ってきて、ワイナリーを片っ端から訪問しました。当時はテイスティングもワイナリー見学もすべて無料でしたから、英語でワインの説明を聞きながら、英語とワインの知識を同時に身につけていくことができたんです。駐在員として来訪者をアテンドして何十回も同じ産地を案内するうちに自然に知識もついていきました。その後、ヨーロッパでも同じような経験をしたため、教科書を一度も読むことなくソムリエの資格も取ることができましたね。

当時のセント・ヘレナは19時には飲食店も閉まるようなところ。仕事に慣れてきたし、せっかくだからと英語学習も兼ねて法律の勉強を始めました。運よくカリフォルニア大学のロースクールが受け入れてくれ、1年間学びました。ある時、当時の社長であった鈴木忠雄さんに食事に誘われまして。現状を話すうちに「大学で学ぶだけではもったいない、実務も勉強しましょう」と、サンフランシスコにある法律事務所への研修を即座にセッティングしてくれたのです。3ヶ月だけでしたが、個室秘書付きのオフィスで働きました(笑)。日本からの出張者が訪ねてくるたびに「こんなすごいところで仕事してるの?」と驚かれる立派なオフィスでしたよ。

03

「地球の自転が止まらないようなことなら良いんじゃない?」

メルシャン株式会社 顧問 竹内誠

帰国のタイミングが近づいた頃、忠雄さんから「オプションが2つある。日本に戻って法務系の仕事に戻るか、もう少し海外にいるか」と問われました。ようやく海外も面白くなってきたところでしたから後者を選ぶと、今度は「フランスに行ってくれ」と。フランス語なんて「un, deux, trois(アン・ドゥ・トロワ)」しか知らないわけです。そこで考えたのが、「フランス語を英語で習おう」です。そうすれば、英語もフランス語も同時に上達するから一石二鳥じゃないか、と。

これは後に当時の人事部長に聞いた話ですが、私が駐在員に選ばれたのは「英語やワインに精通しているか否かよりも、お前ならアフリカのサバンナだろうが地球上どこでも生きていけるだろうと思ったからだ」という理由でした。たしかに私は「お気楽」なタイプというか、大抵のことは「地球の自転が止まらないようなことなら良いんじゃない?」と思うほうですから。ストレスがゼロというわけではないのですが、3分くらいで消えちゃう。忘れるのが早いんですよ。

フランスでは、メルシャンが買収したボルドーにある「シャトー・レイソン」の経営にも関わりました。何年も誰も読んでいなかった分厚いフランス語の決算書を、辞書を片手に全部読み込んで、打ち合わせで徹底的に質問したら、現地スタッフがニコニコしながら「やっと読んでくれるやつが来た、苦労して作ってたんだよ」と言ってくれましたね。

メルシャン株式会社 顧問 竹内誠

それから、化学品事業の撤退交渉なども担当しました。「アメリカで法律を勉強したやつがフランスにいる」という理由で声がかかったわけです。それ以来、何かと「揉め事」があると世界中に引っ張り出される役回りが定着しました。

休日は妻とヨーロッパ中をドライブして回りましたよ。ドイツのホワイトアスパラガスの旬は数週間しかないので食べに行くとか、シャブリを飲むためにブルゴーニュへ行くとか、その場の思いつきで地続きのヨーロッパを巡りました。「どこへ行ったことがないか」を答えた方が早いくらい、各地を自分の足で訪ねたものです。その時は帰国後にマーケティング部に行くなんて想像もしませんでしたが、ヨーロッパ各地で「本物」に触れた経験は、意図せずにリベラルアーツを学んだようなもので、マーケティングの仕事に大いに役立ちました。

04

「ニューワールド」という新しい挑戦

メルシャン株式会社 顧問 竹内誠

日本に帰国してからは、輸入ワイン事業を担当することになったのですが、帰国前にロンドンで体験した光景が、頭から離れませんでした。レストランでシャブリを注文したら、ソムリエに「騙されたと思ってこっちを飲んでみて。値段は半額だけど味はシャブリと変わらない」と勧められたんです。出てきたのはチリ産のシャルドネでした。一口飲んで、こんなワインがあるのかと驚きました。当時、日本にはそういう情報がほとんど入ってきていませんでした。インターネットが普及していない時代でしたから。

チリワインの「コンチャ・イ・トロ」は取り扱っていましたが、私がフランスから戻った時は全く売れてなくて、スーパーマーケットのバイヤー向けにチリやオーストラリア、カリフォルニアなどのニューワールドワインの可能性を説明しても、なかなか信じてもらえませんでしたね。だったら実際に見せるしかないと、ロンドンへのツアーを企画しました。ロンドンのスーパーの棚には、フランスやイタリアと並んでチリ、オーストラリア、南アフリカのワインが当たり前のように並んでいる。実際に見て、飲んでもらったら皆さんの顔色が変わりました。

私がフランスから戻った頃の「コンチャ・イ・トロ」の売上は年間7千ケースほどでしたが、それが7万ケースになり、17万ケースになり、最終的には85万ケースまで伸びました。飲みやすい味わいの赤ワインは、ちょうど日本で起きた「ポリフェノールブーム」とも重なって、ワインを飲んだことがない方にも受け入れられていったように思います。

カリフォルニアの「ロバート・モンダヴィ」とのパートナーシップ獲得も、忘れられない経験です。後でパートナーシップに選んでいただいた理由を聞いたら、最初から最後まで英語でプレゼンしていたのが我々だけだったみたいなんですよね。「他社は代表者が日本語で話したものを通訳していたから、同じ時間でも情報量がまるで違った」と仰っていただきました。もちろん、「コンチャ・イ・トロ」の大成功が大きなフックになったことは言うまでもありません。

それ以外に海外のワイナリーとの交渉で気を付けたことといえば、ワイナリーとの交渉の場では、決定権を持って臨むことを徹底していました。「東京に持ち帰って確認します」と言った瞬間に、相手は本気で話してくれなくなります。たとえ30代の若手でも全権を委ねてもらって、その場で決断を下す。さらには可能な限り会食を含めて時間を過ごすのも大切にしました。ナポレオン失脚後のウィーン会議でフランスの解体を免れたタレーランの外交術*じゃないですけど、会食はもちろん、二次会・三次会まで一緒に過ごすことで、昼間の会議では出てこない本音が引き出せることもありますから。

*タレーランの外交術=フランス革命からナポレオン時代、復古王政期にかけて活躍した天才的な外交官・政治家シャルル=モーリス・ド・タレーランは、「正統主義」を武器にした国際社会の分断工作と美食や会話術を駆使して人脈形成をした。(参考文献:『フランス料理を築いた人びと』辻 静雄 著、中公文庫 )

05

ワインをスクリューキャップに変えて気づいたこと

メルシャン株式会社 顧問 竹内誠

2002年からは輸入事業部長としてワイン以外も含む全ての輸入商品に関わることになりました。当時考えていたことは、生活者にワインを手にする敷居を下げてもらうにはどうするか。ある日、オーストラリアから届いたワインのサンプルがスクリューキャップで封をされていました。ひねるだけで開く。それを見た瞬間に「これだ!」と直感しました。

メルシャンのお客様相談室に寄せられた声を調べてみると、年間の問い合わせのうち45%がコルクに関する内容でした。硬くて開かない、途中で折れてしまった、変な匂いがする……。お客様が不満を感じているのは、中身のワインではなくパッケージの問題だったんです。スクリューキャップに変えれば、その45%が一気に解消できる。チームで議論を重ねて、輸入ワインのラインナップをスクリューキャップへ切り替える方針を出しました。

ところが大反対にあいましてね。海外のパートナーからは「アジアの中で日本はワイン文化が最も成熟している。コルクへの馴染みも深いはずだ」と反対され、社内からも「時期尚早だ」と声が上がって。その理由は先例がないという内向きな声でした。お客様のためになることをやろうとしているのだから、チーム全員で社内外を一生懸命説得して、何とか発売に踏み切りました。

導入後にお客様から寄せられた声は、意外なことに「開けやすい」ではなく「閉めやすい」でした。私たちはコルクが開けにくいという問題を解決しようとしていたのですが、お客様が喜んだのは、飲み残しをキャップで締めなおすことができて、しかも冷蔵庫に横向きで保存できるという便利さだったんです。お客様の視点は、私たちの想定とは違うところにある。この経験は、ずっと頭に残っています。

06

論理が明確だったから、ペットボトルにワインを詰めた

メルシャン株式会社 顧問 竹内誠

スクリューキャップの次に取り組んだのが、ペットボトル化でした。

スーパーで買い物をする時、ワインはたいてい最後にカゴに入れる商品です。「今日はパスタだからワインにしようか」という具合に。でも、瓶のワインは重い。自転車のカゴに入れたら割れそうだし、実際に落として割れたという声も多かった。軽くて割れないペットボトルなら、そのハードルを取り除けます。

そこでキリンのパッケージング研究所へ目を向けると、ペットボトルのコーティング技術の特許を持っているのに「どこも使ってくれない」という声を聞きました。ワインをペットボトルに入れるとどうしても酸化が進みやすいのですが、コーティング技術を使えば瓶と同等の品質を約1年半は維持できることが分かっていました。

これは可能性があると確信があったのですが、導入検討時の調査では世界中を探してもペットボトルワインの成功事例はほとんどありません。カナダで試みた例があったけれど、まったく売れなかった。数少ない成功事例はいずれも飛行機がらみでした。ペットボトルは軽いので燃料代の節約になる。機内サービスで使われる小型サイズのボトルや航空便で輸送されるボジョレー・ヌーボーなどが限定的にあるだけでした。

メルシャン株式会社 顧問 竹内誠

当然、ここでも社内から反対にあいました。工場のラインを新設するコストや稼働率の問題など、反対意見はことごとく内向きの事情でした。お客様の不満と不便を解消するためのアプローチを知っていてやらないのは怠慢です。「誰を見て仕事をしているのですか?」という話です。

今の時代、専用の道具がないと飲んだり食べたりできない食品が、スーパーやコンビニにありますか?缶詰だってプルタブになりました。ワインだけがオープナーがないと飲めない。ドン・ペリニヨンがイギリス製の瓶にスペイン産のコルクを詰めて400年──コルクを否定しているわけではありませんが、世の中がこれだけ変わっているのに、ワインだけが変わっていないのはおかしい。

メルシャン株式会社 顧問 竹内誠

それに私たちが勝負するのはワインの中身です。パッケージという外身がお客様の障害になっており、それを取り除くための根拠が明確である以上、やらない理由はなかった。そんなふうに社内外にある壁を一つずつ壊していったように思います。

振り返ってみると、スクリューキャップの導入もペットボトル化も、メルシャンの諸先輩たちの仕事ぶりと重なっていました。誰かの後追いではなく、誰もやったことがないからこそ、やる。それがメルシャンの姿勢でしたから。

07

10年ではなく「3650日」を、どう使うか

メルシャン株式会社 顧問 竹内誠

メルシャンの仕事を通じて、たくさんのつくり手と交流を持つことができました。たとえば、「カリフォルニアワインの父」とも呼ばれる醸造家のロバート・モンダヴィ氏が来日された時、10日間ほど通訳としてご一緒しました。彼が87〜88歳の頃でしたが、少年のような好奇心をお持ちの方でしたね。料亭でのディナーで、日本料理に合わせてペアリングを考えたワインを10種類ほど並べたときのこと。途中でグラスを換えようとしたら「下げないで」とおっしゃって。

「本当にこの3番目の料理に3番目のワインが合うのか、もしかしたら1番目の方が合うかもしれない。自分の舌で確かめたい」と、全てのグラスを手元に置いたまま食事を楽しまれていました。格式ばった儀式としてではなく、本当に楽しんでマリアージュを探している。世界のトップに立つ人は違うんだなと、そういった姿を見ても思いましたね。

ボルドー右岸最高峰のワイン「シャトー・ペトリュス」を手がけたクリスチャン・ムエックス氏と食事をした時の言葉も、今でも忘れられません。彼は自分の名前を冠した3000円ほどのワインを世界中で展開して成功を収めたのですが、70歳の時に「次の10年で第二のペトリュスを作りたい」という想いが湧いた。そのためには今のワインづくりを辞めなくてはならない。当然、取引先からも反対にあいます。我々もその一社でもありますが、私は「辞めて、その夢に掛けるべきだ」と伝えました。

「これから10年で挑めるワインの仕込みはたった10回、3650日しかチャンスがないんだから」と言ったら、「世界中を回ってことごとく反対されたが、初めて賛成してくれた」と彼は泣き出してしまって。たしかに年数で考えるよりも、日数に換算するほうが切実さや切迫さが出るものです。私も会社に約45年勤めたといっても、土日を除けば実質的には11000日ほど。日数で考えると、一日一日の重さがまったく違って見えてきます。

その期間内に何ができるか。それなら、興味があることを好きにやったらいいじゃないか、と思いますよ。前の世代がやっていないこと、やったことがないようなことに挑戦できるのは、若い人たちの特権でしょう。モンダヴィ氏は87歳になっても、グラスを片手に日本料理に向き合う時の目は少年のままでした。年を重ねるうちに、最初に「面白い」と感じた時の好奇心を忘れていく人は多い。でも、その好奇心こそが、仕事を面白くする原動力なんですね。

メルシャン株式会社 顧問 竹内誠

ワインの魅力を一言で表すなら、「人間と似ている」ことだと思っています。テロワールという言葉がありますが、土地があるだけでは駄目なんです。そこで一生懸命働く人がいて初めて、土地と人が一体になって個性が生まれる。品種も違う、つくり手も違う、産地も違う。ビールが再現性を求められる飲み物だとしたら、ワインは個別性を楽しむ飲み物です。

もちろん個別すぎて「選べない」という声もあるくらいですが(笑)。そういう多様な個性が世界中に広がっているから、ワインは面白いんですよね。

  • 撮影上野裕二
  • テキスト長谷川賢人
  • 編集花沢亜衣、株式会社RIDE

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