成長曲線は1つじゃないから固執しない。“サトミツ”の名で愛される芸人/放送作家・佐藤満春さんの仕事術

芸人・放送作家 / 佐藤満春

公開日:2024年6月12日

内容、所属、役職等は公開時のものです

さまざまな方に“いい時間”を伺いながら、「心地よい暮らし」や「理想の生き方」を教えていただき、こころとからだの健やかさのために、私たちキリンができることを考えていく「#あなたの“ウェルビーイング”教えてください」。

今回お話を伺ったのは、お笑いコンビ『どきどきキャンプ』のツッコミ担当で、放送作家としても活躍する“サトミツ”こと佐藤満春さん。芸人として『爆笑レッドカーペット』などで活動後、『オードリーのオールナイトニッポン』で放送作家としてのキャリアを積み、現在は『DayDay.』や『ヒルナンデス』など多くの番組の構成を担当されています。

2023年に発売された初のエッセイ『スターにはなれませんでしたが』(KADOKAWA)では、芸人として闘っていくことの厳しさ、人気放送作家になるまでの道のりなどが語られました。苦手なことを避け、自分が生きていける道を探してきた佐藤さん。芸人と放送作家という実力勝負の世界で、家族や仕事を依頼してくれた人のために力を尽くす背景には、謙虚な人柄と揺るぎない信念がありました。

佐藤満春

芸人・放送作家

1978年生まれ。数多くの肩書を持ち、お笑い芸人(どきどきキャンプ)、放送作家、構成作家、トイレ博士、掃除マニア、ラジオパーソナリティ、サトミツ&ザトイレッツとして多方面で活躍。名誉トイレ診断士、トイレクリーンマイスター、掃除能力検定5級、整理収納アドバイザー3級などの資格保有。
佐藤満春 公式サイト

01

家族と仕事仲間のために、自分ができることを粛々と

お笑い芸人になろうと思ったきっかけはラジオだったんです。
中学生のときに、友達から教えてもらった『伊集院光のOh!デカナイト』というラジオ番組を聴いてからラジオの楽しさを知りました。それから『オーデカ』以外にも『オールナイトニッポン』をはじめとした様々なラジオ番組を聴くようになり、どうやら自分の好きなラジオにはお笑い芸人さんが出演している番組が多いと気づいて、深夜のお笑い番組を見るようになっていきます。

初めて自分でネタを書いて、人前で漫才をしたのが高校2年生のとき。大学卒業後は「他にやりたいことがない」という理由から芸人を目指すことにしました。
風呂無しのアパート暮らしでアルバイトをしながら月に一度か二度、ライブでネタを披露してはそこそこすべって帰るという日々を数年過ごし、運よく少しだけTVに出る機会をいただきアルバイトを辞めることができました。ただ、そこからまた悩みは尽きず、ひな壇でおもしろいことが言えるかっていうと全くそんなこともなく。
ただただ周りの芸人さんの実力や人間力に圧倒される日々でした。
唯一活躍できたのは『アメトーーク』や『タモリ倶楽部』など好きなことをプレゼンするような企画のみ。というか、そもそもひな壇の大勢の芸人さんの中で大きな声でみんなの中で目立って、笑いを取るなんてことを目指してもなかったしやってこなかった、そんな素養も実力もないことにようやくそこで気がついた、というか。

それでも生活していくためには、できる仕事を探すしかない。そこで運よく放送作家の仕事にたどり着いて、少しずつ芸人の仕事もしつつ放送作家の仕事をスタートさせました。当時の芸人の世界は賞レース至上主義(これは今もそうなのかもしれないけど)が今よりも強くマッチョな世界。
「特技を語ることでTVに出ること」も今よりは憚られる時代だったし、放送作家も兼業ではじめるなんで邪道、亜流、何ならアウトくらいの雰囲気はありました。今も時々言われますけど、当時は特に「何がしたいの?」と言われましたね。
ひな壇では一言もしゃべらず下を向いていることしかできないやつが、急にトイレのことや掃除のことを語る番組では意気揚々として、その上で完全裏方の放送作家を兼業しはじめるという。「得意」と「不得意」の線引きをしているような人って今よりいなかったんですよね。

放送作家の仕事ももちろん、最初からすべてが上手くいったわけではないですし、嫌なことも言われました。でも、当時の僕は「とにかく求められるオファーに精一杯応えてなんとか生活しよう」ということに必死で。その結果、放送作家のオファーが自然と増えていったんですね。
向き不向きは周りが決めてくれることなのでそういう意味では「向いている」ことだったのかもしれません。

逆に無理なこと、不得意なことはオファー自体が減っていきます。
これは僕の意思に関わらず、です。僕がやりたいと思ってもオファーがなければ仕事としては成立しないので。そういう意味では「オファーに対して実直に真剣に向き合った結果」が放送作家としての道、だったのかもしれません。

そうやって苦手なことや、できないことを諦めてきました。
諦めてきたからこそ別の可能性が見えてきたり、新たに得られたこともあったんだと思います。

今も自分に作家が向いているとは思っていません。向いているとか、向いていないとかって、自分では判断できないこと。周りの人が判断してくれて、結果として自分に向いている仕事が残っているんだと思うんです。そうやっていろんな人に助けてもらいながら、仕事をいただけるようになりました。僕の実力ではなくて、運がよかったんです。本当に人との出会いに恵まれているなと思います。

だから、いただいている仕事については、僕を指名してくれた人たちが「佐藤に頼んでよかった」と思ってもらえるかどうかがすごく大事。そのためにできることは全部やろうと思っています。「人のために」というかっこいい話ではなく、お金をいただいている分、自分ができることをやりたいという気持ちですね。

何のために仕事をしているかというと、依頼していただいた方の恩に報いながら、家族が不便な思いをせずに生活するだけの収入を得るため。世の中を震撼させるおもしろいコンテンツを作ろうなんて1ミリも思っていませんし。
おかげさまで、今は、僕の感覚では十分だと思える暮らしができています。僕自身としては、粛々とできることを続けて家族と健やかに暮らすくらいしか、人生の目標はない。僕一人であれば風呂なしアパートでよくて、仕事もしなくなっていたと思うので、そういう意味では結婚して本当によかったなと思っているんですよね。寂しい話になっちゃいましたが、これが本音なんです(笑)。

02

評価されたい気持ちも、作家としての野望もない

仕事で自分が評価されたいという気持ちも、放送作家としてのエゴや野望もないんです。テレビもラジオもチームワークで作るものなので、コーナーの企画だったり、ナレーションの原稿だったり、任された仕事をやるなかで、出演者が楽しめて、視聴者の方がよろこんでくれて、番組がよくなっていけばいいなといつも思っています。

今年開催した『オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム』だって、みんなが頑張って作ったもの。
お客さん7人だった春日の家でやってた小声トークの手伝いをしてたらそこから東京ドームまで連れてきてもらっちゃった、くらいの感じですかね。このまえは若林君と2人でCMに出してもらったりと。運と縁と、出会いと。

東京ドームの翌日には『DayDay.』(日本テレビ)の生放送のため、いつも通り始発で日テレに行きました。日常は日常で愛すべき日常で、普通に仕事は翌日、というか何ならその日の夜からもう翌日の原稿とかホテルで書いてたんじゃないかな。

最近、テレビの仕事で20代前半の若いディレクターさんと話していると、やっぱり僕が知らないことも多いなと感じます。「このアイドルは20代の人にどれだけ人気なのか」みたいな体感は、僕がどんなにアンテナを張っていてもわからない。育ってきた時代も環境も違うし、これだけエンタメがたくさんあるなかで、自分が選択して仕入れている情報と、20代の若い人たちが仕入れている情報は大きく違うわけだから。
テレビの視聴者には20代の人もいるし、僕らの世代もいる。自分の感覚だけで作ってもどうしても若い世代の興味はカバーできません。これだけ時代の動きが速いと、どうしても同じ感覚にはなれないので、その辺の感覚差は常に勉強させてもらっています。
とはいえ、ラジオはまた少し違うところもあって。誰が喋っているかっていうパーソナルな部分が大事だったりするんですよね。その人の話が好きな人が集まるというか。そういう違いも面白いですよね。ラジオに関しては時に「話し手が楽しめているかどうか」を気にして番組を作っています。だから『オードリーのオールナイトニッポン』と『日向坂46・松田好花のオールナイトニッポンX』の2つの番組に関しては、オードリーが、松田が何か番組に関して「こうしたい」と思った時にちゃんと話ができる信頼関係は持っておきたいし、そういう人間でありたいと思います。

03

やりたいことをやり切った先に見えた新たな可能性

お笑いやラジオに関わる仕事をする中で、いろんな壁にぶつかってきました。その度にぬるっと逃げながら、自分が生きていける道を探してきたんですけど、振り返ってみるとやりたいことは全部やれたなとも思うんですよね。

おもしろいことをやりたいと思っていた少年が、お笑いコンビを組んで舞台に立ち、自分でラジオをやらせてもらった。友だちであるオードリーがやっていた7、8人しかお客さんのいないライブを手伝っていたら、それがいつの間にか人気ラジオ番組になって、東京ドームでのイベントも手伝わせてもらうまでになって。本当にこれ以上はない経験をさせてもらいました。ラジオやテレビの仕事をさせてもらって生活ができている時点で、自分としてはできすぎだなって。なんて言うんだろう、もう自分がやりたいと思っていたことは全部できたなという感じです。

最近は、体力の衰えもすごく痛感していて。体力が落ちていくと、仕事に費やせる時間も減っていくと感じていることもあり、時間の使い方の優先順位が変わりつつあります。「人間は一生成長できる」なんて言われるけど、成長曲線は1つじゃないので1つの成長曲線が下降するタイミングに、別の成長曲線の上昇がはじまっていたりする気もして。そういう意味では1つのことに固執することが果たして正解なのかな?とも思いますよね。

それもあり、この4月には数年間やらせてもらったラジオパーソナリティの仕事を終わりにしました。機会があれば、またどっかでできたらいいですけど今は優先順位としては別のことに時間をかけようという選択です。

去年初めて『スターにはなれませんでしたが』(KADOKAWA)というエッセイを出版させてもらったんですね。僕が考えていることなんて大したことないし、すごくネガティブだし、誰も興味がないだろうとずっと思っていたけど、「佐藤さんの本を世に出したい」と言ってくれる人が現れて。会社に企画を通してくれ、行動してくれたその人を信じようと思ったし、そこに向けて自分ができることをやってみようという気持ちになったんです。

その本は、何百万部も売れたわけではないし、そんなことは最初からわかっていました。でも、僕が書いた本を読んでみようと思って、お金を払って買ってくれた人がいた。本を買って読むって、すごく積極的で能動的な行動なので、そういう人が数万人もいるなんて本当にすごいことだなと思ったんです。

その後、エッセイの担当編集者の方が、「2冊目も出したい」って言ってくれました。今仕事を減らしたのは、2冊目のエッセイに向き合う時間を作るためでもあります。その企画が社内で通るのであれば、絶対に書いたほうがいいと思ったんです。1冊目だって別に特別なことは書いていないですよ。僕が書けるとしたら、あんな内容になるわけで。だけど、それがいろんな人の承諾を得て出版につながったということは、仕事として成立しているわけじゃないですか。仕事として成立するということは、やってもいいことなんだと思ったんです。

僕ができる範囲のことで、仕事にもなって、自分の表現にもなっているっていう。そういうことって今まではなかったんですけど、エッセイではピュアにそれができたんですよね。僕が今できるミニマムのサイズ感で自分の脳みそから出た活字で何かを伝えるという作業はやってもいいんだなって可能性を感じられた。だから、ちょっと時間をかけて取り組もうと思っています。

僕を信じて声をかけてくれた編集の方の評価は絶対に上げたい。「よくこの本を出したね」って言われるように。僕の本の企画を通すことができたのは、編集者の方が今まで積み重ねてきた実績のおかげなので、期待を裏切りたくない。だからこそ「僕が書いたものが違うと思ったら言ってください」という信頼関係のなかで進めています。

04

健康に気を遣い、自分の得意なことでお金を稼ぐ

将来のことを考えるのは苦手なんですけど、まずは家族が健康的に生活できて、何か欲しいと思ったときに買える経済力を持つことが一番大切にしていることです。そのうえで自分も健康でいて、仕事仲間やオファーをくれる人たちがいい環境で仕事ができること。そこで自分ができることをやっていけたらなと。

家族が安心して生活していくためには、自分が得意なことでお金を稼がなきゃいけないし、仕事を依頼してくれる人の期待に応えようと思うと、自分の特性を活かして頑張らなきゃいけない。そのためにはよく寝て、運動をして、食べ物にも気を遣って、体を整えていく必要がある。

なので、一定の収入を確保しながら健康生活を目指す、というのが今のテーマですね。子どもが社会人になるまでと考えたら、あと10年以上は仕事をしていかなくちゃいけないし、家のローンもありますから。あー、また寂しい話になっちゃいましたね(笑)。すいません、大きな野望とかなくて。

  • 撮影七緒
  • テキスト阿部 光平
  • 編集花沢亜衣、株式会社RIDE

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