発酵食で体調不良を改善。デザイナーから「“発酵”デザイナー」へ
あらためて、小倉さんが“発酵”に関心を持ったきっかけを教えてください。
小倉20代半ばの頃、スキンケア会社を経てデザイナーとして独立した僕は、若さにかまけて夜遅くまで働き、そのまま友だちと遊びに行って…みたいな毎日を繰り返していました。そしたら案の定、体調を崩してしまったんですね。
そんな折に出会ったのが、発酵学のパイオニアである小泉武夫先生でした。前の会社の同僚に山梨の老舗味噌屋「五味醤油」の娘さんがいて、彼女の大学の恩師が小泉先生だったんです。先生は、初対面の僕を見るなり「君は生まれつき体が弱い。免疫疾患だな」と断言されました。実際、それは当たっていて、長年アトピーや喘息に悩まされていたんです。先生はさらに、「味噌汁を飲んで、漬物を食べなさい」とアドバイスしてくれました。
正直、それまで食にはあまり関心がなかったのですが、せっかくの機会なので「ご飯+お味噌汁+納豆+漬物」に朝ごはんを変えてみたら、確かにちょっとずつ体調が良くなっていったんです。もちろん発酵食品は万能の薬というわけではないんですけど、少なくとも僕の体質には合っていて、基礎体力が付いたのを実感しました。それをきっかけに発酵の力に興味を持ち、先生の本を読んだり、自分で味噌を仕込んでみたりするようになっていきました。
小倉さんは「発酵デザイナー」として活動されており、これは他に類のないユニークな肩書です。デザイナーという職業に“発酵”という冠を加えたのはなぜだったのでしょうか。
小倉その元同僚の実家の「五味醤油」の味噌のパッケージデザインを頼まれたのがきっかけです。味噌蔵を訪れた時に、なんというか、天啓を受けたような感じがあったんです。「お前は発酵でやっていけ」と。
そして、結果的に新パッケージの味噌は大ヒット。さらには、その味噌屋さんと組んで、DIYの味噌作りを今の世の中に広めようと「手前みそのうた」というアニメを自主制作したら、これが店の地元である山梨で大ヒット。さらには全国へと広がっていき、学校の食育の授業で使われたり、NHKで何度も取り上げられたりしました。そんなこんなで、いつしか「なにやら発酵に詳しいデザイナーがいるみたいだぞ」という噂が広がり、気付いたら発酵関係の仕事がどんどん舞い込むようになっていました。これは、普通にデザイナーをやっている場合じゃないぞ、発酵を専門にすべきだろ、と。
そして、「もう発酵以外の仕事はしない」と決めて、現在の肩書である「発酵デザイナー」を名乗るようになりました。そして、より発酵について学びを深めるため、東京農業大学に入学。さらにパワーアップした状態でカムバックし、現在に至ります。