幅広い作風と尽きせぬアイデアでマンガ界の最前線を走り続けるしりあがり寿氏。いまやこの道の大家だが、じつは大学卒業後、キリンの社員としてマーケティングを担当していた過去がある。そんなしりあがり寿氏が在職中に手掛けた商品の一つ、「ハートランドビール」。1986年の誕生以来ロングセラーを続ける「特別な」ビールが模索した新しい価値とは?
1981年、多摩美術大学グラフィックデザイン専攻卒業後、キリンビール株式会社に入社し、パッケージデザイン、広告宣伝などを担当。1985年単行本『エレキな春』でデビュー。パロディーを中心にした新しいタイプのギャグマンガ家として注目を浴びる。1994年に独立し、その後は幻想的あるいは文学的な作品などを次々に発表。新聞の風刺4コママンガから長編ストーリーマンガ、アンダーグラウンドマンガなどさまざまなジャンルで活動を続けるほか、映像、現代アートなど多方面で活躍している。
01
人はみずから気づいたことに価値を置く。ハートランドの戦略
1981年に新卒でキリンに入社し、マーケティング部門に配属されたしりあがり寿氏。彼が新ビールブランド「ハートランド」のチームへと誘われたのは、発売の前年である1985年のことだったという。
ハートランドビールとしりあがり寿氏。右は発売当時の瓶で、現在のものと異なり、手触りがボコボコとしている
チームの中枢メンバーは、前田仁氏(*1)、しりあがり寿氏を含む4名。ハートランドは、当初からほかの商品とは一線を画した特別なビールとして構想されていた。そこには、「新しい価値」への明確な意思があった。
02
1980年代に求められた「本質的な価値」とは?
ハートランドが登場した1986年は、日本が、いわゆる「バブル景気」に突入したタイミングだった。物質的価値の追求が最高潮に達し、その反動からか、新しい生活スタイルや価値観に目覚めた消費者層が誕生していた時期である。ハートランドが購買層として注目したのは、そうした時代の先端をいく人たちだった。
こうして誕生したのが、当時はまだ一般的ではなかった麦芽100%、アロマホップのみを使用した生ビールである。そして、いまに至るまで変わらない、あのお馴染みの緑のエンボス瓶も。
しかし一方で、「素(そ・もと)」というコンセプトゆえに、苦労したこともあったそうだ。
03
ビールを介したネットワークを。「ビアホール ハートランド」の誕生
当初から「売り方」にこだわっていたハートランドは、自信を持って送り出す「特別な」ビールを周知させる手段として、それを楽しむための「特別な」場所を求めた。
ビアホール ハートランドは、原酒の貯蔵庫を改装した「穴ぐら」と、大正初期に建てられた洋館「つた館」の原型を生かしてつくられたビアホールである。名前のとおり、外壁がつたで覆われた、趣のある建物だった。ハートランドを楽しみつつ、さまざまな文化の創出・発信を行ない、コミュニケーションの活性化を図る——いわば、ハートランドを介したネットワークの中心地として期間限定でオープンし、1990年のクローズまでに、じつに56万人が訪れた。
04
アーティストのライブや聖歌隊のサプライズ登場。「特別感」を追求したビアホール
ビアホール ハートランドには、ある種の「文化装置」としての機能も内包・期待されていた。「ハートランド・ギャラリー」と銘打ち、さまざまなアート企画展が催されたり、「ハートランド・ライブ・シリーズ」として、音楽アーティストによるライブパフォーマンスが開かれたりした。
「やっぱりビールは、賑わっていて、雰囲気も華やかな場所で飲むのが一番好き」と語るビール愛好家のしりあがり寿氏に、こうした「祭り」のポスタービジュアルやコピーの仕事が回ってきたのもむべなるかな、である。
05
ビールのベネフィットのひとつは、「心を開かせる」こと。その核心をハートランドは突いている
ハートランドが追求したコンセプトである「素(そ・もと)」には、そこに行き着くまでの議論のなかで浮かび上がってきた、5つの時代予想があったという。そして、そこで可視化された「これから」のかたちは、2020年代の日本が抱える諸問題にも通ずる内容であり、とても30年以上も前につくられたとは思えない。
5つのうちひとつ例を紹介すると、例えば「たくさんの情報が溢れるなかで、主体的、自発的に能動的な情報の判断が求められるようになる(下記 2.)は、「バズる」ことが偏重され、虚実入り混じる情報に溢れるSNS以降のインターネット世界にあって、求められている姿勢そのものだ。
<5つの時代予想>
- 1個としての確立を目指す時代
- 2能動的な情報判断を目指す時代
- 3人間の感性を再開発する時代
- 4新しい本物が求められる時代
- 5Less is moreの時代
そうした、お酒の持つ根源的な魅力を内包しているのがハートランドなのだとしたら、拠点であったビアホール ハートランドという場所の消滅から30年以上経ったいまでも、変わらず愛され続ける理由が見えてくるかもしれない。
06
変わらず愛されるモノの共通点は「ロマンがあること」
「心を開かせるためのビール」としての“ハート”ランドは、静かな存在感を放ちながら、今日も日本全国で栓を開けられている。しかし、現在はコロナ禍にあり、かつてのようなお酒の楽しみ方も難しくなっている。
「これは個人的な意見なんだけどさ」と前置きをしながら、しりあがり寿氏は語る。「最近、お酒から『ロマン』の要素が薄くなっているような気がして、それがちょっと寂しいんですよね」。そして、ハートランドをつくっていたとき、とあるデザイナーが提案した、新しいビールブランドの話をしてくれた。
参考:
*1 前田仁 1973年麒麟麦酒(現キリンホールディングス)入社。大阪支社営業を経て、マーケティングを担当し、ハートランドビール、キリン一番搾り生ビール、麒麟淡麗〈生〉、氷結などのヒット商品の開発を行った。2007年キリンホールディングス常務執行役員、メルシャン代表取締役専務執行役員、2009年キリンビバレッジ代表取締役社長を歴任し、2012年退社。2020年逝去。
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