キリングループに長年勤める従業員の足跡を振り返りながら、仕事人としての信念を探る企画『キリンのDNA』。
協和キリン株式会社で、現在は常務執行役員 CIBOを務めている須藤友浩に話を聞いた。1993年の入社以来、キリンの医薬品事業の成長と共に歩んできた須藤は、希少疾患治療薬の開発やグローバル展開を率いてきた。
誰も手をつけない領域に挑戦し、「私が見ているのは、今、我々が持っている未来のポテンシャルだけだから」と快活に笑う。その信念と行動には、次世代へのメッセージが込められていた。
須藤友浩
協和キリン株式会社 常務執行役員 CIBO
1993年4月キリンビール株式会社入社。医薬事業本部医薬開発を担当。2001年から約8年半米国に駐在、キリン初の医薬開発機能を立ち上げる。2007年キリンファーマ株式会社、2008年協和発酵キリン株式会社、製品戦略部(2019年7月1日付で「協和キリン株式会社」に社名変更)、2016年から4年英国に駐在、グローバル製品の海外事業展開を推進。2025年3月より同社 常務執行役員 Chief International Business Officer(CIBO)を務める。
01
「新しいことへの挑戦」を約束してくれた場所
大工職人の父からの「手に職があるように」という進言もあり、大学は薬学部に進学しました。ただ、少し閉鎖的に感じていた製薬企業の雰囲気が自分にフィットしていないのかもと感じていて。同時に「現役で大学に入学し、4年生を終えて大学院へ進学、製薬会社に入社、結婚して家族が増えて…」という人生のレールが透けて見えるような気がしたんです。その道がいいとか悪いとかということではなく、自分にとっては敷かれたレールが窮屈に思えてしまった。
このレールから外れるためには、方向転換が必要だと考え、大学3年生のときに一年休学してアメリカへの留学(遊学)を決断。周囲には止められもしましたが、父が背中を押してくれました。留学先が、後に出向先として赴任するサンディエゴだったのは、数奇な縁ですね。
就職活動でもいわゆる製薬企業は選ばず、キリンビールへの入社を決めたのは、もっと自由に挑戦できる場所を探していたからです。当時、キリンは医薬事業という新たな領域への参入を始めたばかり。若くても挑戦できる機会があるだろうという期待感がすごく強かったですね。もちろん、キリンで医薬事業が失敗したら先がないリスクもありましたが、チャンスに賭けてみようと思いました。
入社後、配属された医薬事業本部は、まさに期待通りの環境でした。300人ぐらいの組織でしたが、勢いがすごかった。純粋に薬の価値を見つけて届けたいという思いに、皆が情熱的でした。キリンの人材はもちろんですが、さまざまな企業で働いていた経験者が集い、互いの考えをぶつけ合い、ときには喧嘩もしながら仕事をしていましたね。
このころの医薬事業における経験は、私の中で今も生き続けています。当時の活気ある会社の姿が、頭の中のモデルになっているところがあります。みんなが内に持っている情熱を出し合っていく…その「情熱」に突き動かされる活動は、多くがハズレだったりもするんですけどね(笑)。それでも構わないと思うんです。そんな情熱と意味ある数々の失敗を経て、結果的にキリン社が持っていたサイエンスとテクノロジーをベースにして、ほぼゼロから医薬事業が立ち上がっていったわけですから。
その後のグローバル展開でも、このイメージが原点になっています。やっぱり、そういう生き生きとした環境からイノベーションは生まれると信じているんですね。
02
「人間の自然な姿を取り戻す」という薬剤に対する信念
私は入社してから長らく大きく注目を浴びていない領域の開発を担当してきましたが、それが全然嫌ではなかった。むしろ開発の仕事は大好きで、このまま最後まで開発をやっていきたいと思っていたくらいです。
そんな中で出会ったのが、ある希少疾患の治療薬の開発でした。簡単に言うと、とあるホルモンを正常にコントロールできずに、血中に存在するリンの濃度が異常に低くなって、正常な骨が作れなくなる疾患です。
この疾患は患者数が少なく、治療薬を作ったところで市場性を疑問視する声も多かった。一流のコンサルタントに相談しても「市場性もない、ニーズもない、適正な薬価(病院の薬の公定価格)も取れない」と、開発を進める論拠がどこにもない状況でした。医師からも、既存の薬の処方を行えばいいという意見もあり 、全くポジティブとは言えなかった。
でも、私にはどうしても譲れない信念がありました。人間の体の中では、本来はちゃんと機能しているはずの仕組みが、この疾患によって狂わされている。「既存の薬」の処方があるとはいえ、毎日大量の薬を飲む必要があり、それも体からすぐに排出されてしまう。それって、人間の体の「自然な状態」とは違うんじゃないか。私たちが目指すべきは、体の中の仕組みを「自然の状態に戻す」ことだろうと。
この考えは、実はキリンの医薬品開発の本質とも重なります。毎日の服薬ではなく、2週間に1回、あるいは月に1回の治療で、体の状態を適切に、自然に近い状態を保てる。そういう治療法を実現したいと考えました。
開発の道のりは、本当に厳しく、FDA(米国食品医薬品局)への臨床試験申請は一度却下され、新たなアプローチを模索しなければなりませんでした。そんなとき、希少疾患の患者団体のリーダー(患者さん)との出会いが、大きな転機になりました。彼女が暮らすアパートで4時間ほど、開発中の薬のリスクも含めてすべてをお話ししました。すると「今の治療は本当に大変。こんな夢のような薬があったら素晴らしい」と協力してくださった。その言葉が、私たちの背中を強く押してくれました。
その後の臨床試験では、予想以上の発見がありました。リンが正常に維持されるだけでなく、骨の状態が改善し、組織学的にも骨の構造が変化していく。QOL(生活の質)も向上する。複数の方向でいい変化が見られたんです。データが示す結果は、私たちの仮説が正しかったことを証明してくれました。結果として、この薬は2018年に承認を得ることができ、今では世界50か国以上で治療に貢献しています。
患者さんの声を直接聞くことの大切さを、このときほど痛感した瞬間はありません。医師を通して聞く声だけでは、どうしてもバイアスがかかってしまう。私たち製薬企業側にもバイアスがある。そのバイアスを理解したうえで、しっかりと患者さんの声を聞かないといけない。この経験は、今でも私たちの「ペイシェント・セントリシティ(患者さん中心)」という考えにつながりますし、その意味を伝え続けていかなければいけないとも思っています。
03
反省より、計画より、未来を見据えた挑戦を
反省や計画が大切なのはわかっているのですが、私は若いころ、ある上司に「反省、反省って言わないでくれ」と直言したことがあります。反省を促しすぎると、見ている人が不安に感じ、挑戦できなくなってしまうのではないかと思ったからです。新しいことをやろうとすれば、ほとんどは失敗します。駄目な失敗と、素晴らしい失敗があるはずなのに、それを十把一絡げに「失敗したから反省しろ」と片付けられては困るんです。
実は、「計画」という言葉にも、私は同じような違和感があります。たとえば、計画からずれると「反省」を求められますよね?でも、私からすれば、計画はその時点での期待値でしかなく、むしろ、変化し続ける環境によっては計画を超えることをやりたいし、やってほしい。超えようとし無理をすれば、状況によって計画から遅れることだってあるはず。計画に合わせるがあまりに挑戦の手を緩めてしまうのは、本質的ではないと思うんです。本来のゴールに対してもっと柔軟で貪欲で動的でありたいと私は思っています。
成功したから良くなる、失敗したから駄目になる、計画に遅れたからよくない、そんな単純な話ではありません。成功しても駄目になるものもあれば、一度は失敗してもポテンシャルのあるものは必ず花が咲いていく。私が見ているのは、今、我々が持っている未来のポテンシャルだけだから。
04
異なる考えをぶつけ合う熱量から、イノベーションが生まれる
13年半の海外での経験で学んだのは「違いがあって当たり前で、違いがなければおかしい」という覚悟です。言語の違い、文化の違い、桁違いの多様性。たくさんの壁に直面しましたし、想像していた以上に大変なことの連続でしたが、お互いの違いを認めたうえで、腹を割って丁寧に話していく。それには時間もかかります。だから忍耐力をもって、自分の個性や能力も思い切ってぶつけていかないといけない。
私は常々みんなが持っている能力を思い切り生かして生きてほしいと思っています。でも実際にはリスクを避けたり、不安から逃げてしまうことで、その能力を自ら封印してしまっている人が多い。能力があるのに、発揮する機会を逃してしまう。特に最近は、きれいにまとまることを重視しすぎているように感じます。みんな本当は枷や枠を外せる能力があるし、そうすべきだとわかっているのに。協和キリンなら、できるはず。なぜなら、私が入社当時に感じた熱量が今も根底に流れていると知っているから。
協和キリンには、とても大切にしている原則があります。それは、世界中の協和キリンの社員、一人ひとりの行動の拠り所となる考え方や姿勢である「KABEGOE Principles」です。
この原則は、2008年10月の協和キリン社設立前に、800名以上の社員が一緒に議論して作成した「私たちの志」がベースになっています。我々は、これまでも、これからも、そしていつも協和キリンの社員として情熱溢れるユニークな存在であり続ける。そして、世界中にLife-changing Valueを創造し提供し、患者さんの笑顔に貢献し続ける。「KABEGOE Principles」は、そんな思いを掻き立てます。
「私たちの志」の中に「どこにもない歴史があり、どこにもマネのできない技術があり、そしてどこにも負けない優秀な人材がいる」というフレーズがあります。この言葉は、決して誇張ではなく、それを肌で感じていた社員が多くいるからこそ、出てきた言葉だと思います。
イノベーションは決してきれいごとからは生まれません。互いの異なる考えをぶつけ合い、時には衝突も恐れない。国や文化を超えて、抑えることのできない衝動が爆発しちゃうような、そんな「丸出しの議論」から新しい価値は生まれます。私が医薬事業の黎明期に経験した、あの熱量に満ちた空気。そこから生まれる創造と貢献。それを不断の挑戦として、私はこれからも走り続けたいと思っています。
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