“魂を揺さぶる”ウイスキーを求めて。20年先を見据えたウイスキー造り

キリンビール株式会社 マスターブレンダー / 田中城太

#キリンのDNA

キリンに長年勤める従業員の足跡を振り返りながら、仕事人としての信念を探る企画『キリンのDNA』。

マスターブレンダー、田中城太。フラッグシップとしてその名を一躍広めた『キリンウイスキー 富士山麓』ブランドをはじめ、彼がブレンダーとして携わった『キリン ジャパニーズウイスキー 富士』や『キリンウイスキー 陸』の味わいは、国内外から高い評価を得ている。

未経験でいきなり放り込まれた洋酒の世界。ウイスキー夜明け前の時代には理解が得られず苦心したこともあった。それでも、ウイスキーの持つ可能性を信じ、突破口を開いてきた。現在は、「人の心に火を灯す」ことを自らのミッションとして、その技術や情熱を社内外へ広めている。日本のウイスキーの魅力を発信する「伝道師の一人」という矜持もある。キリンのウイスキーが生まれる「キリンディスティラリー 富士御殿場蒸溜所」で話を聞いた。

田中城太

キリンビール株式会社 マーケティング部 商品開発研究所 マスターブレンダー エグゼクティブ・フェロー

1962年生まれ、京都府出身。1988年、キリンビール株式会社に入社。1989年から約3年間、ナパバレーのワイナリーでワイン醸造に携わった後、カリフォルニア大学デービス校大学院修士課程を修了。1995年に帰国、キリン・シーグラム株式会社(現 キリンディスティラリー株式会社)でワイン・その他の洋酒業務を担当。2002年に再度渡米し、ケンタッキー州のフォアローゼズ蒸溜所にてバーボン製造および商品開発全般に携わる。帰国した2009年からは、キリンビール商品開発研究所でブレンダー業務に従事し、2010年にチーフブレンダーに、2017年にはマスターブレンダーに就任。同年、ウイスキー専門誌『ウイスキーマガジン』が主催する世界的ウイスキー・アワード「アイコンズ・オブ・ウイスキー(IOW)2017」において「マスターディスティラー/マスターブレンダー・オブ・ザ・イヤー」を受賞。また、2022年には世界的ウイスキー専門誌「ウイスキーマガジン」認定の「Hall of Fame(ホール・オブ・フェイム)」を受賞し「ウイスキー殿堂入り」した。殿堂入りは日本人4人目。

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「海外で仕事がしたい」その一心で、キリンビールへ

出身は京都で、酒どころでも知られる伏見です。実家の向かいには酒蔵があって、日本酒を仕込む良い香りを鮮明に覚えていますし、高校の自由研究の課題で麹室(こうじむろ)に入れてもらったりしながら酒造りの見学レポートを書いたこともありました。父親から「将来は食糧不足が問題になる」と言われたこともあって、農学部を志望。進んだ北海道大学では応用微生物学を専攻しました。今振り返れば、子どもの頃から発酵の世界に触れてきたんです。

大学生時代にはバックパッカーとしてアメリカ横断一人旅をして、将来は「海外で仕事がしたい」という思いが強くなりました。そのチャンスがあるのではないかと考えて、1988年にキリンビールへ入社したんです。今年で勤続36年ですが、当初はウイスキーづくりをやることになるとは思いもしませんでした。
転機は、入社して半年後。生産管理部へ配属になった際に、部長から「半年後にはナパバレーのワイナリーへ行ってもらうから」と告げられました。ワインなんて、赤と白という種類があることしかわからないくらいなのにですよ。

実は入社してすぐの研修期間に、自分の経験や今後やりたいことを3分間でプレゼンする機会が幾度かあったのですが、そのプレゼンで米国一人旅の体験や海外勤務への希望について話したんです。それを覚えていた当時の研修センター長が私のナパ行きを推薦してくださったということを後から知りました。大きなチャンスをいただいたという意味でも、今でも感謝しきれませんね。

ナパバレーのワイナリーへ着任する直前に富士御殿場蒸溜所を訪れ、初代のマスターブレンダーや工場長にもお会いしたのですが、ウイスキーの記憶としてはそれっきり。もし、そのときウイスキーを意識していれば、ワイン造りの現場から違う景色も見えたのかもしれませんが…当時は「キリンビールは蒸溜所も持っているんだなぁ」くらいの印象でした。

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ワインから学んだ、お酒が持つ「文化的側面の大切さ」

ナパバレーでの体験は、その後の私の活動に大きな影響を与えました。今日も着けている愛用のベルト、バックルはシャルドネがモチーフなんです。海外の洋酒業界の集まりで自己紹介する時はいつも「私の血管の中にはワインとスピリッツが流れています」と説明しています(笑)。

ワインの世界に触れてからは、お酒には文化やアート性があり、工業製品としては語りきれない農作物や工芸作品としての魅力があるとわかりました。むしろ、お酒の文化的側面に興味関心を持ったこだわりの人でないとおいしいものは造れない。ウイスキーづくりにも役立っているし、私たちのウイスキーが海外からも「おもしろい」と評価していただけている要因のひとつに、このナパバレーのワイナリーでの経験が活きていることは間違いありません。

海外の人たちとコミュニケーションをすると、商品に「どれだけのストーリーがあるか、プラスで伝えられる価値はあるか」という話になります。それらもみんな、ワイン造りで私が体験し、学んできたことに通ずるんです。

すこし話が逸れますが、私が海外でキリンのウイスキーにまつわるセミナーを開くとき、最初にメッセージとして、“FUJI is more than whisky. It can Inspire and bring joy to your life.”(『富士』はウイスキー以上の存在。あなたの人生に感動とよろこびをもたらすもの)を伝えます。最初はみんな意味がわからずポカンとする。だけれど、セミナーの終わりには「よくわかった、感動した」と言ってもらえる。そういうふうに仕立てています。

例えば、試飲するときはウイスキーだけどワイングラスを使う。味や香りがグラスの形状やサイズで変わることを体験してもらう。それもワインの経験があってこそ。物事を別の視点から眺めると違った世界が見えてくることが面白いのですが、このような体験は意図してできるものではありません。これまでの自分のキャリアは想定外の機会や偶然の出会いから始まり、その中であがき、もがきながら今に繋がっています。

ワインについては、その道の熟練者とは比べものにはならないくらい短い経験ですが、カリフォルニア大学デービス校で学ぶ機会も得て、カリフォルニアワインの造りと研究にも携われたことが、自分のバックボーンになっています。指導者もなく、突然放り込まれた世界。何をどうやって習得すれば良いのかわからない中、もう必死に学びましたよ。ワイナリー勤務時は、ナパバレーカレッジで夜間のワイン醸造学の授業を受けていたし、著名なワインメーカーには、どんどんと連絡をとって会いに行きました。蒲萄収穫期には、それらのワイナリーに頼み込んで手弁当で働かせてもらったりもしました。これらの行動は、「いずれためになる」というよりは、「限られた時間を無駄にしたくない」「優れたつくり手から学びたい」という一心でした。

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アメリカで体感した「フェロー・ディスティラーズ」の精神

カリフォルニアから帰国後、キリン・シーグラムの開発チームに配属されました。ワインや『氷結®』の商品開発をはじめ、スピリッツやウイスキーにも接しました。ブレンダーとして、『エバモア(※1)』のブレンドも担当しました。

*1 キリンウイスキー エバモア。その年に得られる21年以上の長期熟成原酒のみを使ったプレミアムブレンデッドウイスキー。現在は販売を終了しています。

そんなときに、キリンビールがアメリカのフォアローゼズ蒸溜所を買収し、現地へ派遣する技術者を探しているという噂を耳にしました。グローバルブランドに携わることができるという待望の機会を感じ手を挙げると、それが叶って渡米が決まったんです。

2002年からの7年間、アメリカのフォアローゼズ蒸溜所でバーボン造りに携われたことは、その後の私のブレンダーとしての姿勢に大きな影響を及ぼしました。「買収後の統合業務で、やらなければならないこと」がいっぱいで、とにかく必死に取り組んでいた日々でしたが、フォアローゼズブランドの新商品開発もできたことは誇りです。ありがたいことに周囲やお客様たちから評価してもらえたことも自信になりました。

ここで実体験として得たことや学びの多くは、もちろん今になっても財産なのですが、身をもって感じたのは、仕事に対する情熱の大切さ。「いかにパッションを持ち、誇りをもって取り組めるか」ということ。
フォアローゼズ蒸溜所の従業員たちのブランドに誇りと情熱をもって取り組む姿勢に刺激を受ける毎日でした。そんな熱血漢の代表が、ミスター・フォアローゼズとも呼ばれていたマスターディスティラーのジム・ラトリッジ。
そして、ウイスキー業界の人たちに通底している「フェロー・ディスティラーズ(=ウイスキー仲間)」というクレド(信念)に出会えたことは幸せでした。

競合という言葉にあるように、組織にいるとどうしても他社を競争相手として見てしまいがちすが、私自身はこの言葉が好きではありません。海外の洋酒業界、特につくり手の間ではワイン業界もウイスキー業界も、みんなどこかで助け合いの精神が根幹にあります。私が出会ってきたウイスキー造りに携わる人のなかで、特にこの考え方を体現していたのは、『ワイルドターキー』の伝説的マスターディスティラー、ジミー・ラッセルさん。

私がフォアローゼズ蒸溜所で働き始めてすぐのこと。あるイベントの試飲会でブースを出していたのですが、当時は知名度がそれほどなく閑散としていたんです。それが、ある時から突然、何人も訪れるようになった。聞いてみると、みんな「ラッセルさんに紹介された」と言うんですね。

ラッセルさんにお礼を言うと、「良いものを勧めるのは当然だよ。ピザの一切れを奪い合うのではなく、ピザそのものを大きくしてみんなで分かち合えば、みんながハッピーになれる。僕たちは仲間なのだから、みんなで一緒に成長しよう」と。他の場面でも「フェロー・ディスティラーズ」を体現される行動の数々に触れ、心を揺さぶられました。

自分もこの精神を体現して、キリンだけに限らず、日本のウイスキー業界全体を盛り上げたい。そう心に決めて、帰国しました。

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10年かけて社内の流れを変えた「価値創造ロードマップ」

とはいえ、帰国した2009年は、業界としてはどん底の状態。キリンビールはウイスキー事業の撤退や他社との合併もささやかれていたほどです。販売数が不調だったある年には「新規の仕込み数ゼロ」ということも。会社としては不良在庫を作りたくありませんからね。ウイスキーは常に「将来のこと」を考えて造らないといけないものです。そりゃあ悔しかったですよ。状況を変えていくためには、自分が働きかけなくては、と思いました。

社内の状況を変えたきっかけとしてはっきりと覚えているのは、ブレンダーの任務として20年先の販売予測数をベースに製造計画を作っていたときのこと。あまり根拠のない販売推計や製造計画では経営層に納得してもらえませんし、私としても「将来的に事業をどうしたいのか」をちゃんと議論したかった。そこで、20年先くらいまでのウイスキー市場を想像して、「キリンウイスキーのブランド価値創造ロードマップ」を描いてみました。

ロードマップに沿って、商品計画と発売タイミング、起こしたいイベント、着手すべき原酒開発、R&Dによる技術開発といった枠を設けて、書き入れました。「この年には世界一の賞を取る」という妄想的なことも描きました(笑)。ただ、その受賞する目標だって、原酒や商品開発の積み重ねがなければ実現不可能なんですよ。

今思うと稚拙だった部分や、粗削りなところもあるロードマップでした。でも、小さな会議室でプレゼンをした私に、当時の企画部担当部長が「おもしろいね、やってみようよ」と言ってくれたんです。

そこから2年ほどかけて、長期の事業プランを作るためのワーキンググループが組まれ、さまざまな部署とディスカッションを重ねました。そうこうしているうちに、2017年には私がマスターブレンダーに就任し、世界的なウイスキー・アワードも受賞できた。このエポックメイキングな出来事で社内の流れも一気に変わりました。2018年に富士御殿場蒸溜所へ約80億円の増産投資が決まったのも、それらが結実した一つの成果です。

結局、状況を変えるためには10年かかってしまった。逆の言い方をすれば、10年やり続ければ、こうして状況を変えることができる。最近、シングルモルトウイスキーで納得のいくものを造れるようになってきたのですが、それも10年前にモルトの原酒開発に取り組み始めたのが、今になって結実したからこそ。

私はフォアローゼス蒸溜所で、ウイスキーづくりのおもしろさを体験し、魅力あるお酒でお客さまが感動する様子を観てきました。それをキリンでもぜひやりたいと思ったのです。当時のキリン・シーグラムでも洋酒に情熱を注ぐ人々と接し、そのパッションに触れました。彼らの熱い想いを引き継ぎ繋げたい、私はその責務を背負っていると思っています。

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ビジョンを掲げ、心に火を灯す。“魂を揺さぶる”ウイスキーを求めて

私の果たすべき役割は「人の心に火を灯すこと」。私自身、最初はウイスキーづくりに携わるなどとは思ってもみませんでした。というよりも、ブレンダーという職業があることすら全く知らなかった。それでも「自分もやりたくなる」ような体験を経ることで、人は熱くなっていく。そのようなきっかけを、今度は私が作る番だと思うようになりました。
その実現のために、「ウイスキー事業って面白そう」「田中城太と仕事がしてみたい」と思ってもらうことを意識して、社内外へ積極的に情報発信をしています。

だから、社内で最近「ウイスキー造りに携わりたい」という人が増えているのはとても嬉しいです。更に嬉しいことに、営業の方たちが最近、ウイスキーのセールスを楽しみながらやり始めてくれています。ある地方の営業担当者から「城太さん、最近自分もウイスキーが好きになりセールス活動がおもしろくなってきました。そしたら自然と商談が決まるようになってきたんです」とメールが届いたときは涙が出る思いでした。ウイスキーの存在感が社内でも増していることを端々から実感しています。

キリンの社員はスマートで、優秀な人がたくさんいます。ただ、正直なところ、もっと人間臭いくらいでもいい、と思うこともあります。お客さまという存在を頭で捉えるのではなく、目の前にいる方との人間的なコミュニケーションを大切にしたい。洋酒業界を見渡すと、人気のある商品には、魅力的な人が携わっているし、情熱溢れる仲間たちが集まっていて、お客様の心をつかんでいるものです。

“アクションファースト”とよく言われます。その意図は理解できますが、先ずはその前に「自分が何をやりたいのか」というアスピレーションやビジョンを持つべきだと思います。熱い想いがなければ、他人を巻き込んで物事は動かせない。アクションファスト(即行動)だけれども、アクションが先ではないですよね。

富士御殿場蒸溜所には、操業当初から脈々と受け継がれてきた、「クリーン&エステリー」というウイスキーづくりの理想があります。初代のマスターブレンダーと一緒に働いた時間はそれほど長くはありませんでしたが、私も大きな影響を受けました。あとに続くブレンダーたちにも、まずはこの理想を理解・体得してもらいながら、議論を重ねて、技術を磨いてもらうことを心がけています。

キリンが総合的に酒類を手掛ける以上、「洋酒のおもしろさ」は会社として、組織として、知っておいたほうが良いはず。ウイスキーは心に刺さり、インスパイアされ、生活によろこびを与えてくれるものです。

私が理想としているのは、“魂を揺さぶる”ウイスキー。飲んだときに心が揺さぶられるようなウイスキーをつくること。それを追求しながら、国産ウイスキー事業の中長期プランの中では、20年以内に「世界を代表する最高品質のウイスキー」、あるいはお客さまにとって「『富士』は世界を代表する美しい味わいのウイスキー」として認められていることを目標としています。

ウイスキー市場は、世界中でブーム的な様相を呈しており、私は危機感も抱いています。これからは競争が一層激しくなるでしょうし、淘汰のステージに入ると思います。今後、どのような状況になっても耐えられる組織で、生き延びるような事業にしておくことを、常に意識しています。つくり手のパッションと確かな技術があれば、お客さまは離れないと信じているのです。

  • 撮影上野 裕二
  • テキスト長谷川 賢人
  • 編集花沢亜衣、株式会社RIDE

公開日:2024年7月19日

内容、所属、役職等は公開時のものです

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