偶然が差配する世界に委ねる。歌人・穂村弘さんの幸福論

歌人 / 穂村弘さん

#あなたの“ウェルビーイング”教えてください

#エッセイ・コラム

さまざまな方に“いい時間”を伺いながら、「心地よい暮らし」や「理想の生き方」を教えていただき、こころとからだの健やかさのために、私たちキリンができることを考えていく本連載。

今回ご登場いただくのは、短歌、エッセイをはじめ、評論、トークなど多方面で活躍されている歌人の穂村弘さん。年齢を重ねることで実感していったご自身の心の変化や、偶然に身を委ねることで気付ける「幸せ」の形に迫っていただきます。

穂村弘

歌人

1962年、北海道札幌市生まれ。1990年に歌集『シンジケート』でデビュー。『短歌の友人』で伊藤整文学賞、『鳥肌が』で講談社エッセイ賞、『水中翼船炎上中』で若山牧水賞を受賞。歌集、エッセイ集以外にも、詩集、対談集、評論集、絵本、翻訳など著書多数。

01

「社会性のない自分」を職業化する

僕が歌人としてデビューしたのは1986年なんですけど、そこからずっと会社員との二足の草鞋生活でした。でも、本当に会社勤めが苦手で…。上司も理解があって、とてもいい会社だったんですけど、僕は致命的なまでに社会性がなかったから本当に辛かった。人が当たり前に気づけたり、難なくこなしていることがまるでできないんですよ。

振り返ると、就職活動の時点で、すでに自分の非社会性を理解していたので、そんな僕でもなんとか務まりそうな仕事を必死で探していました。文化系の仕事…例えば、美術館だったら大丈夫じゃないかとか。でも、面接で聞かれるのは「ここが火事になったとしたら、あなたはお客さんをどのように誘導しますか?」みたいな質問なんですよ。そんなこと考えもしなかった。僕は、臨機応変的な対応が、まるでダメで。美術館だから、大好きな画家を答える準備をしてきたのに、そういうことじゃなかったんですね。「社会的」なゾーンは、あらゆる場所に遍在している、ということを痛感しました。

じゃあ、自分はどんなことならできるのか、ということを考えてみると、社会的な領域のことはからきしだけど、代わりに、毎日かっぱ巻きとか同じものを食べ続けても平気なんです。でも、そんなのは普通、職業にはなりませんからね。

ちなみに、かっぱ巻きの話は実話で、中学生の時に1年間、お昼ご飯に食べ続けていたことがあるんです。別に褒められるようなことでもないし、むしろ不気味ですよね(苦笑)。栄養価的にも問題だろうし、ユーカリを食べ続けるコアラじゃないんだから。でも、今こうやって語っていれば、まあ、笑って聞いてもらうこともできる。つまり、エッセイのような「表現」にすれば、意味や価値のようなものが生まれる。通常社会から見たらマイナスポイントでしかない自分の特性を強く意識して、言語化することで、ある種の「価値」が生まれるのが文学の世界だったんですね。

今、短歌を書いたり、文章を書く仕事をしているのは、いろいろなことが苦手で社会性のない自分の有り様を、なんとか職業化しようとした結果なのだと思います。

02

「社会の幸福」と「個人の幸福」の狭間で

僕は今、吉祥寺で学生みたいな生活を送っています。公園と喫茶店と本屋をぐるぐる回って、パン屋でお昼を買って公園で食べて。学生時代に思い描いていた「こんな感じに日々を過ごせたらいいな」という夢が、数十年かけて叶ったような感じですね。
でも、これは「何も起こらなければ」という前提での「理想的な生活」だとも言える。例えば、震災のような非常事態に陥ってしまうと、その生活はあっさりと崩れ去ってしまいます。しかも、お医者さんのように直接的に人の役に立つ仕事をしているわけではない僕は、自分の無力さにがっかりしてしまう。

そうした事態には、日常的なレベルでも度々直面しています。例えば、ある読者の女性から、出産してから数年間は、かつて大好きだった穂村さんの本がまったく読めなくなった、という話を聞いたことがあります。きっと、毎日子どもの世話で大変な時に、「穂村弘のダメエピソードなんて聞いてられないんだよ!」ということでしょうね(苦笑)。でも、その方は、子どもが大きくなって手が離れたら、また読むようになってくれたそうで、ありがたいことです。

もちろん物書きだって、文章を介して人や社会の役に立つことはできます。むしろ今は、これまで以上に社会的な課題に対してのアクションを問われる時代です。つまり、社会全体の幸福を考えるべき、という理想がある。

僕もできるものなら役に立ちたい。でも一方で、「個人的な幸せ」というものも、またある。僕は、家でゴロゴロしながらどら焼きを食べて、諸星大二郎の漫画なんかを読んでいたら、それだけでけっこう幸せなんです。でも、それを言うと、作家の友だちとかに怒られるんです。「世界には、この瞬間にもさまざまな問題で苦しんでいる人がたくさんいるのに、家でどら焼きを食べながら諸星大二郎を読んでいれば幸せ、とはどういうことか?そんな人間には、表現者の資格はない」って。

ショックでした。本当にそのとおりだと思うんです。宮澤賢治を連想したりね。ただ、一方では、使命のために個人的な幸せの実感が全否定されなくてもいいんじゃない? という「ちょっと待ってくれよ」と言いたい気持ちもあって。そうした自分のスタンスも、やっている仕事も、社会的に見たら「児戯(じぎ)に等しい」と言われかねないものだな、という自覚は昔からあったけど、危機感とともに強まってきました。そうしたたわいのないものの中にこそ宿る価値というのもまたあると信じて、できるものなら証明したいんですけどね。

03

この世のすべてが「初めて目にするもの」として映るのが理想

僕にとっての文学や表現って、自然や社会が要請するような「理(ことわり)」を解体して、別の回路を開いてくれるような存在なんです。
だからこそ表現者としては、この世のすべてが「初めて目にするもの」のように映るのが理想なんです。地球の摂理を何も分かっていない宇宙人のように、この世界を見たい。

とはいえ、それなりに年を重ねてきたことで、だんだん自分の価値観にも変化を感じつつあります。

実際、以前だったら生理的に拒否していた「普通のこと」を、当然のように受け入れている自分に気づくことが増えました。出張や旅行に行く時に、「この土地の名物はなんだろう?」と事前に調べてみたり。あるいは、みんなで写真を撮る時、昔なら「絶対にピースサインなんてしないぞ」と拒否していたのに、今はにこにこしながらピースで写真に収まってますからね…。

こうした変化を最初に認識したきっかけは、ある時、植物を見て「きれいだな」と思っている自分に気づいた時です。自然の摂理に侵入されてしまったという感覚と言えばいいでしょうか。かつての自分だったら、造物主が勝手に設定した摂理なんて「いや、だって自分は聞いてないから」と思っていたのに。

あと、「完璧」を求めないようになりました。思春期の頃はオール・オア・ナッシングという感覚がすごく強くて、他人に何かを伝えようと思っても、完璧に伝わらないなら最初から一言も言いたくない、みたいな感じだった。ある種の潔癖症ですね。でも、さすがに今はそんなことは不可能だとわかるし、可能な範囲で伝わればいいや、となった。すると、不思議なことに、実際には思ってもいなかったゾーンまで伝わることもある。試みる前に想定していたきっちりした完璧は一種の虚像で、本物には不確定な柔らかさがあるというか。

作るもののクオリティに関しても、似たようなところがあるかもしれません。もちろん100%満足いくものを作るべく、全力を傾ける、というのは一緒ですが、実際には60%くらいのところで足踏みしてしまうようなこともあるという現実を知ってしまったわけですね。でも、これに関しても「=ダメになった」とも限らないみたいなんです。ものづくりって、ダメな時がある一方で、思いがけないところから突如、120%のクオリティが落ちてくることがある。この経験則によって、「偶然性」というものへの信頼がより大きなものとなった気がします。ぎりぎり最後のところは、やってみなければ分からない。だからこそ積極的に現場に立ち続けるべきじゃないか。場数を踏むことの重要さへの感覚が、年々強まっていますね。

そうした在り方って、見方を変えると、すごく凡庸でもあるんですよね。脳内のヴィジョンがすべてとは思わないわけだから。なので、生きるのが楽になったとも言えるんですけど、同時に「焼きが回った」ということと表裏一体だなとも感じています。

04

“非社会的”にも満たされた状態

今回のテーマは「ウェルビーイング」でしたよね。語義的には「心身、社会的に満たされた状態」みたいな感じになるのかな。僕は、この言葉に触れて「“非社会的”にも満たされた状態」という項目も加えてほしいなと思いました。「社会的」にということを強く意識すると、どんどん社会的有用性や生産性みたいなことの重要度ばかりが上がっていってしまう。それは弱い立場の人間を排除することと表裏一体であり、「弱者=非社会的」ゆえに不要である、みたいなことになりかねない。実際、社会を滑らかに回すことに与するもの以外は不要、みたいなジャッジが、どんどん加速しているように感じています。

そこで自分のやっていることに立ち返ると、詩的な言語表現というのは、非社会的なゾーンが価値を持ちやすいジャンルなので、ある意味、そうした世の有り様に対して「それだけじゃないんじゃないの?」というカウンターとしても機能し得る。そういう存在って、いつの時代にもどこかに必要ですよね。芸人やラッパー、あるいは格闘技を喧嘩的に再解釈したブレイキングダウンみたいな競技が今人気なのも、「社会」と「非社会」の輪郭線を揺るがすような存在が必要だと、みんなどこかで感じていることの証左ではないでしょうか。

こうしたことを意識するようになったのは、年を重ねて「死」が身近になってきたこととも無縁ではないと思います。

僕たちは、誰もが「死すべき運命」にあります。そのことが、「生」をも規定している。言い換えると、僕らは、「次の瞬間に」「何の根拠もなく」「突然」死ぬ可能性があります。その理屈に則れば、局所的なコストパフォーマンスのようなものについて考えるのは、ほとんど意味がなくなってしまう。だって明日には、なんなら1分後に死んでいるかもしれないわけだから。まず、その問題から手をつけなくていいのか。

つまり、社会的有用性やライフハックというのは、「死」というものを「それはまあ、こっちに置いておいて」というふうにしないと成立し得ないものなんです。考えたところでどうせ「死」は不可知なものだから、ひとまずないことにして、今ある「生」の中で最大限のパフォーマンスを目指しましょう、という考え方であり、これは一定の説得力を持っている。実際のところ、常に「死」を意識しながら生きるのは難しいでしょうからね。でも、その手順の不完全性に我々はどこかで気づいてもいる。死の不可知性に挑む意味ってやはりあるんじゃないか。

05

「偶然」と「運命」を信じている

次の瞬間に、何の根拠もなく、突然死ぬ可能性がある…これは、先ほどの「偶然性」というテーマとも繋がってきます。或るタイミングで理想への拘りを手放して偶然に委ねることを「凡庸と表裏一体」と言いました。でも、「偶然性」というのは、別な意味において、やはりとても大事なものなんです。

偶然に頼らず、コスパを気にしたり、入念に準備をしたうえで「いい状態」を目指す方が、失敗のリスクは下がるかもしれません。例えば、旅行をするとなると、人はだいたい事前に調べて「ここに行こう」「この店でご飯を食べよう」といった計画を練りますよね。これによって「間違った選択をしない」という安心感を得ることはできる。でも同時に、「初めて」の感動が奪われてしまうという大きな欠点を抱えているとも言えるし、「偶然の出会い」の可能性を消してしまうことだってあるでしょう。

知人に旅行好きのホテルマニアがいるんですけど、その人が「いい宿はたくさんあった。でも、一番印象に残っているのは、部屋の庇(ひさし)にツバメの巣があったホテルです」と言っていたのがとても面白くて。これは事前の調査では出会えない「偶然の出会い」が記憶を輝かせている好例だと思います。

僕のやっている短歌というのも、そうした偶然性を重んじる表現なんです。本当に些細な、微差といっていいものによって、世界がまるで違ったものになってしまう。例えば、朝ごはんの光景を詠もうとした時に、味噌汁の具が豆腐だったのか油揚げだったのか、そのくらいの違いによってまるで別物になってしまう。それは、ほとんど偶然が差配する世界と言っていいでしょう。

もっとも、こうした価値観の弊害もあって。いつも何かと「偶然出会いたい」と思っているから、僕はレストランとかも事前に調べて行くことがないんですよ。行き当たりばったりで入る。だから、なんかいつも微妙な味のご飯ばかり食べているんですよね。たまに友人が予約してくれたお店に行ったりすると、「みんな、いつもこんな美味しいものを食べてるんだ!」ってびっくりします(笑)。

でも、僕はそれでもお店をネットで検索したりはしない。単に面倒ってこともあるけど、それは、いつか自分にとっての「運命のレストラン」に“偶然”行き着くことがあるはず、という可能性のほうに惹かれているから。実際にご飯を食べるという、いわば「本番」よりも、未来の「予兆」みたいなもののほうがすごくビビッドに感じられるし、そういうものに思いを馳せている時間が一番楽しいからです。これは人間のタイプによるけど、自分はそうした可能性を信じ続けていられる限り、幸せなんだと思います。

  • 撮影土田凌
  • テキスト辻本力
  • 編集花沢亜衣、株式会社RIDE

公開日:2023年06月22日

内容、所属、役職等は公開時のものです

関連記事