絵を描くことで感性を解き放つ。アート実践プログラム「EGAKU」から見えたウェルビーイングの気づき

株式会社ホワイトシップ代表 / 長谷部貴美さん

アーティスト / 谷澤邦彦さん

公開日:2025年12月12日

内容、所属、役職等は公開時のものです

「EGAKU」を提供する株式会社ホワイトシップ代表 長谷部貴美さん、アーティスト 谷澤邦彦さん

さまざまな方に“いい時間”について伺いながら、「心地よい暮らし」や「理想の生き方」を教えていただき、こころとからだの健やかさのために、私たちキリンができることを考えていく「#あなたの“ウェルビーイング”教えてください」。

今回は、20年以上にわたり、子どもから経営者まで幅広い対象にアートプログラム「EGAKU®︎(エガク)」を提供してきた株式会社ホワイトシップの代表でアートプロデューサーの長谷部貴美さんと、共同創業者でアーティストの谷澤邦彦さんにお話を伺いました。

「EGAKU」を通じて、企業の組織開発やリーダーシップ研修に独自のアプローチをもたらしてきたお二人。谷澤さんは「感性とは、選択する力」と言います。この力と、現在のビジネスの現場で求められる創造性、そして一人ひとりのウェルビーイングは、どのように結びついているのでしょうか。

株式会社ホワイトシップ代表 長谷部貴美さん

長谷部貴美

株式会社ホワイトシップ代表取締役 共同創業者
2001年アーティスト谷澤邦彦と共にホワイトシップを創業。谷澤が開発したアートによる学びのプログラム「EGAKU」を、高校・大学から企業・行政まで幅広い組織に提供している。

アーティスト 谷澤邦彦さん

谷澤邦彦

アーティスト・共同創業者
東京をベースとして活動しているアーティスト。文化服装学院を卒業後、同校の教師 (1985~1988年)として指導に当たりながら、国内外で数々のコンテストを受賞。1988年イタリアミラノを拠点に活動。帰国後、武蔵野美術大学空間デザイン学科(1989~2005年)で教鞭をとり、1994年よりアート活動を開始。「対話から生まれ対話を創り出すアート」をテーマに精力的に作品制作を続ける一方で、さまざまなアートプロジェクトを実施。EGAKUもアートプロジェクトの一つである。

01

現代人が忘れている、非言語的スキルの発露

EGAKU オフィス

まず、「EGAKU」について教えてください。企業向けにどのようなプログラムを提供されているのでしょうか?

長谷部「EGAKU」は、アートの実践によってこれからの時代に必要なさまざまな「非認知スキル」を身につけるためのリスキリングのプログラムです。具体的には、「鑑賞(絵を見る)」と「創作(絵を描く)」を繰り返しながら、アーティストと同じ感覚を味わってもらいます。

2002年に小学校向けからスタートしたのですが、現在はリーダーシップやコミュニケーションスキルを磨くビジネスパーソン向けにも展開しています。チームビルディングや、パーパス・ビジョンなど“目に見えないもの”を内発的動機と結びつけるための手法として導入が広がっています。

EGAKU プログラム体験の様子

「絵を描く」という行為からそんなにもたくさんのことが学べるんですね。

谷澤もともとは子どもたちに「アート体験を通して創造性や感性を育んでほしい」という想いで生まれたプログラムでしたが、自分なりの表現をすることの大切さは大人も子どもも同じですから。そう考えていた時にエグゼクティブコーチからの依頼で、2004年より大人向けがスタートしました。

私のアーティストとしての原動力が、「なぜ人間は絵を描くのか」の探究にあるのですが、それを考えた時に、数万年前のアルタミラやラスコーといった洞窟壁画にヒントがあるように思うんです。これらは人間のアート的行為の出発点だと言われています。顔料に木の油や動物の脂のようなものを混ぜながら、指で描いたり、口から吹き出したり、手形をつけたり…フィジカルに絵を描いていた。そうだとすれば、「絵を描く」という行為を当時の方法に近い形で体験してもらえば、アートの役割や人への影響をより実感できるのではと考えました。

「EGAKU」では、パステルという画材を使って手でこすりながら描いていきます。そして洞窟壁画の時代と同じような感覚で描けるよう、さまざまな仕掛けがあります。

EGAKU プログラム体験の様子

鑑賞ワークの後、お題に対して言葉と色をイメージしてから、色紙を1枚選んでパステルで絵を描き始める。

言語も未発達な時代の表現を再現し、伝えたい気持ちや感情を発露させる。私たちが忘れているような、あるいは全く呼び起こしていない部分に触れられそうですね。

谷澤もしアートの出発点に立ち返って創作できたら、どんなものが生まれてくるのか。それを見たくて作ったプログラムでもあるのです。実際にやってみると、子どもたちは固定観念からすぐに解放され自由な表現に没頭できるのですが、大人になるといろんな先入観や知識があるので少し時間がかかります。だけど、最初はなかなか手が動かない方も、探り探りで手を動かしていると徐々に自由に表現していくんですよね。

「子どもは天才だ、アーティストだ」なんて言われますが、プログラムを通じてみなさんの表現を見ていると、実は大人も子どもも、本質的には変わらないと感動します。
一方で、年齢や言語習得の段階によって、EGAKUから得られる気づきや深まりには違いがあるとも思います。だから厳密に言えば、大人はアートを通して子どもへ「戻る」というより、「今までとは違う場所へ行ける」感覚なのかもしれないですね。思考と感性の幅が広くなるというイメージでしょうか。

02

感性とは「選択する力」。AIでは成し得ない価値創造のために

アーティスト 谷澤邦彦さん

「感性」は取り扱いが難しい言葉です。お二人は、感性をどう捉えていますか。

谷澤僕の中で、感性とは「選択する力」です。「感受性」という言葉もありますが、それは周囲の情報を自分というフィルターを通して受け止める力。一方で「感性」には、より能動的な意味があります。自分の感受性で受け止めたいろんな情報の中から「好奇心がわく、なんか好き、あったらうれしい」といった観点で選び取る力だとも言えます。あるいは、それこそがその人だけの「センス」でもあるのではないかな、と。

長谷部まさにウェルビーイングにもつながると思います。もし感性にずっと蓋をしたままで、「周りの要請に応えること」「評価されること」だけを追求していると、やはり煮詰まってしまうと思うんです。

昨今よく問われる価値創造も、過去の延長線上から組み立てるロジックからではなく、自分の選択や感覚なしには生まれないのではないでしょうか。ひいてはAIがどんなに発達しても成し得ないものでもあるはずです。「感性」の重要性をみなさん言わずとも感じていて、いかに開発できるのかに悩まれている。だからこそ、「EGAKU」というアートプログラムへ期待を寄せてくださっているのではと考えます。

「EGAKU」株式会社ホワイトシップ代表 長谷部貴美さん

お二人は世界16カ国以上の方々とプログラムを実施してこられたそうですが、日本と海外の方たちとの違いは感じられますか。

長谷部欧米とアジアでも違いを感じますが、特に日本では「察し合う力」というか、言葉にならないものを「感じ取る力」が強いように感じます。その繊細さは本来強みである一方で、言葉にしない、主張しないところもあります。欧米並みとまではいわずとも、自分が思っている以上に「言うべきことは言う」姿勢を鍛えることも大切でしょう。

あとは、感じ取る力が強いがゆえに「言葉にできずに諦めてしまう」とか、「言葉にしてはいけないのではないか」とか、「感じているのは自分だけなのだろうか」と思いやすいところもあるように思います。一人ひとりが自分の感情や感性をもっと大切にし、対話をするだけでも、組織は大きく変わっていくのではないでしょうか。

03

自分らしく生きるとは、自分の感じることを大切にすること

アーティスト 谷澤邦彦さん

今回のインタビューのテーマである「ウェルビーイング」について、お二人なりの考えがあればぜひ教えてください。

谷澤「自分らしく生きる」ことでしょうか。長谷部が言うように日本は「感じる力」が強いゆえに忖度してしまったり、調和を乱さないようにと個性が出せなかったりして、自分らしくいられない傾向が強いように思います。

そして、意識的に自分へ矢印を向けていない人も多いように感じます。あらゆることが見えすぎてしまう情報化社会ですが、かえって自分自身と向き合う時間や機会が少なくなっているようにも思われます。アートという無目的な行為を通して、「自分はどうやって生きていこう」「どう働ければ一番楽しいのか」などと自分に向き合うことは、働きがいや生きがいにもつながるのではないでしょうか。

長谷部高校生にもEGAKUを実施しますが、日々「自分らしさ」とか「将来何がやりたいのか」などを問われ続けていて、プレッシャーを感じているように見えます。大人だって難しい問いですよね。じゃあ、どうするか。そのときもやはり、自分の感じていることを大切にすることが重要になってくるのだと思うんです。

「EGAKU」における鑑賞ワークをファシリテーションする 長谷部貴美さん

自分の感じていることを大切にするというのは、具体的にどのようにしたらよいでしょうか?

長谷部たとえば、自分の中にある違和感を受け止めること。「この会議、うまく進んでいないな」とか、違和感があっても口を出すのがはばかられたり、余計な仕事を増やしたくないなとやり過ごすことってありますよね(笑)。感情に蓋をしたほうが楽なこともたしかにあるとは思います。でも、自分で自分の感じていることに蓋をし続けると、いずれ「自分」が分からなくなってしまう。実際に表現したり言葉にしたりする以前に、自分が感じていることをまず自分で受け止めてあげること。

あとは無意識のうちに全ての物事をジャッジするように見ているということに、気づくことも大切だと思います。「EGAKU」では、鑑賞ワークを通して、それぞれの感じていることとその違いを共有する時間はありますが、評価はしません。まずは「見る」「受けとめる」ことの大切さも知ってほしいと思います。

04

無目的な行為が、新たな可能性を開く

EGAKUプログラム体験の様子

「EGAKU」は教育関係者からの注目も高いとお聞きしました。

長谷部今年度は、神戸市内の教員・教育関係者向けにEGAKUを実施させていただきまして、ウェルビーイング指数の計測や可視化など取り組みも拡大しています。地域にとって、「教育」と「産業」のアップデートはとても重要な課題です。良い教育環境があることで移住者は増えますし、そこで育った自己肯定感の高い子どもたちが街を元気にしてくれる。そんな教育を受けた人たちが街の産業を作っていくわけです。だけど、働く場がなければ出ていかざるを得ません。だから教育と産業の両方に働きかけることが大切なんですね。

福島県のある市では、高校生と地域の起業家、行政の人たちがEGAKUを活用しながら、街の未来を世代や立場を超えて共に考えていくという取り組みも始まっています。

たしかに、大人になると「単純に楽しい」という機会は減りますよね。

長谷部ビジネスの場では、結果や正しさを求められ、私たちも何かしらプレッシャーを感じながら仕事をしていますからね。以前に参加したトークセッションで、登壇いただいた経営学者の中原淳先生が「私たちは無目的耐性、視界不良耐性が弱くなっているのではないか。その先に何があるのかわからないことに対して、違和感や不安が強い」とビジネスシーンを分析されました。

不確実性の高い時代においては、アートの「無目的な行為」という要素が、ビジネスにおける価値につながっているように思います。ある意味では、一つの答えがある訳でもなく、「無目的な行為」に挑むからこそ、得られることも多いのかもしれません。

谷澤基本的に、絵を描くという行為は「無目的な行為」です。商売に結びつける必要もなく、自分の中だけで完結しても構いません。もちろん他者に見せて感想を聞いてもいい。描くことは、自分の内面に深く潜っていく作業です。ただ、今は絵を描くこと自体が非常に特殊なものになっているので、ほとんどの大人が何かしらの拒否反応を起こすわけです。ですが、絵を描いたことがないという人はほとんどいませんから、実際にやり始めると無目的な行為だとしても自然と没頭していけるのです。

谷澤邦彦さん「しあわせのかけら」展の作品

アートという無目的な行為に没頭するということは、ウェルビーイングと結びつきますか?

谷澤結びつくと思いますよ。AIは情報を瞬時に整理し、最適な結論を導くのが得意です。しかし、無目的な行為の中から新たな目的や意味を見いだすことは、人間にしかできない領域だと思います。絵を描くのは「右脳を使う行為」だと思われていますが、私は「左脳も使う行為」なんじゃないかと考えています。絵を描いていると、脳のさまざまな領域を使っている感覚があり、描き終えると強い疲労感を覚えるほどです。たった3時間、絵を描く「EGAKU」のプログラムでも「こんなに脳みそを使ってくたくたになったのは何年ぶりだろう」という感想がビジネスリーダーの口から出てきます。

そうやって脳のさまざまな領域を使いながら没頭することで、まだ気づいていなかった可能性やエネルギーに出会えるのではないでしょうか。無目的なことに没頭し、思考と感性の振り子を大きく揺らすことで、これまで気づかなかった「自分」を発見できる。その先に自分にとっての心地よさやウェルビーイングがあるのだと思います。

  • 撮影上野裕二
  • テキスト長谷川賢人
  • 編集花沢亜衣、株式会社RIDE

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