「今日はそういう日」と思ってムラを楽しむ。作家・くどうれいんさんが考える、心地よい選択

作家 / くどうれいん

公開日:2025年1月29日

内容、所属、役職等は公開時のものです

作家のくどうれいんさん

さまざまな方に“いい時間”について伺いながら、「心地よい暮らし」や「理想の生き方」を教えていただき、こころとからだの健やかさのために、私たちキリンができることを考えていく「#あなたの“ウェルビーイング”教えてください」。

今回お話を聞いたのは、作家のくどうれいんさんです。2018年に刊行された、俳句と食エッセイ『わたしを空腹にしないほうがいい』でデビューして以来、エッセイ、歌集、絵本など多岐にわたるジャンルでの創作を続ける彼女に話を聞きました。

さまざまなコラボレーションに精力的に取り組んだ1年を振り返り、「誰かと共同で創作することで、自分自身を見つめ直す時間が増えた」と語るくどうさん。他者との共同作業や一緒に働くことを通じて得た気付き、そして日常におけるウェルビーイングについてお話いただきました。

くどうれいんさんのプロフィール写真

くどうれいん

作家

作家。1994年生まれ。著書にエッセイ集『わたしを空腹にしないほうがいい』(BOOKNERD)、『桃を煮るひと』(ミシマ社)、『コーヒーにミルクを入れるような愛』(講談社)、絵本『あんまりすてきだったから』(ほるぷ出版)、第一歌集『水中で口笛』など。初の中編小説『氷柱の声』(講談社)で第165回芥川賞候補に。現在講談社「群像」にてエッセイ「日日是目分量」ほか連載多数。
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01

自分の思い通りにはいかない共同制作から気づいた創作のよろこび

話すくどうれいんさん

2024年は誰かと一緒に何かを制作することが多い1年でした。画家の狩野岳朗さんと展示をしてみたり、歌人の染野太朗さんと連載を始めたり。そのなかでも俳優の戸塚純貴さんと一緒に、書籍『登場人物未満』を作ることが出来たのはすごくいい経験でした。この本は、各所で撮影された戸塚さんの写真と私が書いたショートストーリーを織り交ぜた1冊で、雑誌の連載企画から始まって2025年1月29日に書籍として発売されることになりました。

もとは同じ盛岡出身というご縁でスタートしたプロジェクトでしたが、最初は何が生まれるか見当もつかなくて。ただ、「こうしなきゃいけない」ということを決めずに進めようとは思っていました。それが結果的に表現の幅広さにつながったように思います。

これまで短いストーリーをいくつも書く経験はなかったのでプレッシャーはありましたが、戸塚さんの写真にはストーリーを抱き止めてくれるような包容力があったので、私もそれに応えるように自由に書くことができたと思います。

くどうれいんさん

最近はありがたいことにたくさんの機会をいただいていて、忙しく過ごしています。忙しいと、すべて自分で決めて進めたほうが早くて確実だと思うこともあるのですが、ふと「それでいいのか?」と考える瞬間があります。

ただ加速して、加速して、その先で何かにぶつかっちゃうときが来るような気がして…。無理やりにでも立ち止まるためには、ときには不如意な状況が必要なのかもしれない、と思うようになりました。

誰かと一緒にモノづくりをすると、思い通りに進まなかったり、自分のペースで進められずやきもきすることもあります。だけど、自分とみんなは違うのだから当然ですよね。

私はどちらかというと、みんなの意見を優先して物事を決めるほうが気楽ですし、そうやって決まることがうれしいんです。でもときどき、「くどうさんはどうですか?」と聞かれてハッとすることがある。その場をスムーズに進めることばかりに気を取られて自分の気持ちをあまり考えてなかったことに気づかされるんです。誰かと一緒に創作することで、むしろひとりで書くときよりも自分自身を見つめ直す時間が多くなる。それは私にとって、大きな発見でした。

いつもは一人で書いているので、誰かに振り回されるという経験があまりなくて。でも、よくよく考えると、たとえば10代からはじめて今も続けている短歌には “お題”という制約があり、その中でどう表現するかを考えるんです。さまざまな方とのコラボによって、思い通りにいかないからこそ生まれる創作の楽しさを思い出すことが出来ました。

意識して他者と関わろうと思っていたわけではないですが、2024年は結果としてそういう機会が増えたので、どこかで立ち止まって考えるきっかけを求めていたのかもしれないなとも思います。

02

もらうより「与える」ことで励みになる

話すくどうれいんさん

「誰かと一緒に創作する」という点で言うともう一つ、昨年から、イラストレーターの友人と朝から夕方までビデオ通話をつないで仕事をするようにもなりました。最初は2人とも手が進まない仕事があったときに、その締切を乗り越えるための一時的な試みだったのですが、それが思いのほか心地よくて。

9時から12時までつないで仕事をして、12時から13時までの1時間は昼休憩。そこからまた夕方18時までやる。そうやっていると18時以降に仕事をするのが残業のように感じられて、自然と「ちゃんと終わらせよう」という気持ちになるんです。自営業なので仕事を何時にはじめて何時に終わってもいいのですが、だからこそ時間を決めないと休んでも休んだ気にならなくて。

例えばちょっとしんどくて一日中ベッドで寝ていたくなるような日でも、相手が画面の向こうで待っていると思うと、どんなにボロボロでもパソコンの前に座る。座ったんだからメールを開いてみようかな、返信しておこうか、原稿も書いてみようかなって気分になったりして。

そうやって仕事をするようになって、労働って出勤と退勤、そして同僚の存在が重要なんだということに気付いたんです。顔が見えるビデオ通話なので、しんどそうな表情が見えたら声をかけるんですが、決して励まし合う関係じゃないんですよ。どちらかというとつらい人を見て元気を出す感じ。「どうした?」「難しい依頼が来て…」「聞かせて!聞かせて!」って。

実際、同僚との関係性って励まし合うだけじゃなくて、近くに自分と同じくらい、もしくはそれ以上に頑張っている人がいることで不思議と元気が湧いてくることもあると思うんですよね。「頑張って」と声をかけてもらうのもありがたいけど、むしろ大変そうな同僚に「コーヒーどうぞ」と一言かけることで、自分自身も元気をもらえるような。

働いているときは、自分がもらうことよりもあげることで元気が出るような気がするんです。もともとチームで働くことが好きだったからかもしれませんが、同僚のような存在がいることで、忙しくても心穏やかに働くことができた1年でした。

03

書くのが何より楽しい自分と、葛藤を抱える自分

街角の花

現在は会社員とのダブルワークの生活をやめて作家一本でやっていますが、専業作家になることを目指していたわけではないんです。好きなことを仕事にすると、いつか嫌いになってしまうんじゃないかという恐怖や、労働者や生活者としての感覚がなにか偏るのではないかと思う気持ちもあったので、できるだけ会社員と作家を両立していたいと思っていました。

岩手に暮らしていることもあり、自分のような働き方をしている人が周りにはほとんどいません。なので、なおさら後ろめたい気持ちもあって。好きなことが仕事になっていると、そんな幸せが続くわけがない、いつか全部失うんじゃないかみたいな怖さがどこかにあるんですよね。だから、「作家だって労働者だ」と胸を張って言えるくらいの苦労や達成すべき野望がないと、どこに向かっていけばいいのかわからなくなってしまいそうになるんです。

目の前にあるものにもっと集中して、「いま」をきちんと向くためにも他者と過ごす時間が長いほうがいいような気がします。

話すくどうれいんさん

とはいえ、書いているときの自分は10代の頃と一緒で、変わらず楽しくて仕方ないんです。とにかく楽しくて、書きたくて書きたくて書いています。考えて書くというより、書かされているような。で、書きだしたら次の一文も夢中なうちに思い浮かんで。「来た来た!楽しい」って心の中で叫びながらいつも書いています。

自分のなかには、楽しんで原稿を書いている自分と、野望にとらわれてあれこれ考え込んでいる自分がいるのかもしれない。作家くどうれいんを守るために、もう一人の自分がマネージャーとして隣でごちゃごちゃ言っている。そんな感覚があります。

少し話が逸れますが、私には50歳ほど年上の友人がいます。インターネットがない時代を生きていた彼女には、他者の目を気にせず生きてきたからこその凄み、「ただそうしたいから、そうしているだけよ」という潔さがあって、それがとてもかっこいいなと思うんです。今はあれこれ考えすぎることもあるんですけど、いつか私も、そんな風に「書きたいから書く」とシンプルに考えられるようになりたいですね。

04

その日ごとの選択のムラを「自分らしい」と思えることが大切

くどうれいんさん

今回のテーマはウェルビーイングでしたよね。そういったテーマでお話させていただくことは結構あるのですが、正直言うと、私はウェルビーイングやご自愛にとらわれすぎたくないとも思っていて。

例えば、疲れを取るためには「半身浴がいい」といっても、私の場合はしんどいときほど人と会ったほうが元気出るので、家でひとりでじっと半身浴することで余計しんどくなるときもある。必ずしもみんなにとっての癒しが自分の癒しになるとは限らないので、自分自身のケアの仕方でいいと思うんです。

大学時代、就活で悩んでいる私に教授が「不安じゃないようにしたらいい。やりすぎて不安ならやらなければいいし、やらなすぎて不安ならやってみればいい」と言ってくれて、その言葉が今もすごく心に残っています。安心するためではなく、不安にならないやり方を選ぶという考えもあるんだなって。

それに、同じ人でも、そのときどきでお守りになる行為や選択は違っていい。思い切って高い栄養ドリンクを買うことがお守りになる日もあるし、白湯を飲むことで落ち着く日もある。ふだんは安いコスメしか使わない人が突然デパコスを買ったっていいし、1回エステに行ってよかったからといって毎月エステに行く必要もない。「今日はそういう日!」「でも明日は明日で、違っていい」と割り切っちゃっていいと思うんです。

私自身、まだ自分なりの確固たる休み方、癒し方を見つけられているわけではなく、毎回勢いで選んでいる感じがあります。でも、「そういう日もあるからいいじゃん」とその日その日の選択のムラを自分らしいと思えることのほうが、毎日を心地よく過ごすために大切なのかなと考えています。

  • 撮影表萌々花
  • テキスト花沢亜衣
  • 編集花沢亜衣、株式会社RIDE

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