10年を振り返り未来をのぞむ。ふたつの震災から見えた復興のかたち

  • Edit & Text : Kohei Abe

東北地方を中心に甚大な被害をもたらした東日本大震災から、今年で10年。復興が進んでいる一方で、今なお避難先での生活を余儀なくされている方々もいらっしゃいます。

仙台にあるキリンビールの工場も、地震の影響で貯蔵タンクが倒壊し、津波で工場内設備が使用不能になる被害を受けました。しかし、懸命な復旧活動の結果、震災からわずか6ヶ月後には操業を再開。現在は東北6県と新潟県にビール製品を出荷しています。

東日本大震災が発生する少し前の2011年2月22日。ニュージーランドでは、クライストチャーチ大地震が発生しました。この地震で、キリンのグループ会社であるライオン社が操業していたカンタベリー工場も被災。廃業を余儀なくされてしまったのです。それから7年という時間を経て、ライオン社は2018年にクライストチャーチでクラフト・パブ・ブルワリー『Fermentist』を開業。現在はビールの生産拠点ではなく、街の人たちが集まる場所として、新たなビアカルチャーを形成するスポットになっています。

未曾有の被害からビール工場として復活を遂げた仙台工場と、クラフト・パブ・ブルワリーに生まれ変わったカンタベリー工場。当時の様子をよく知るキリンホールディングス取締役常務執行役員・横田乃里也と、CSV*担当常務執行役員・溝内良輔に、それぞれが歩んできた復興の道のりを聞きました。

*CSV=Creating Shared Valueの略。(企業が社会と)共有できる価値を創造すること。社会課題への取り組みによる「社会的価値の創造」と「経済的価値の創造」の両立により、企業価値向上を実現すること。

INDEX

  1. 仙台工場被災と復旧までの道のり
  2. 復旧できなかったもうひとつの震災
  3. 東北の復興支援のその先
  4. 新しく生まれ変わるカンタベリー工場
  5. 「再構築」に向けて。これからを考える

横田乃里也

1984年キリンビールに入社。工場、米国留学、R&D、キリンオーストラリア社長等を経て、2011年3月仙台工場長。2014年より本社にて生産部長、人事総務部長、経営戦略担当ディレクターを経て、2018年より取締役常務執行役員として、財務戦略、IR、情報戦略を担当している。

溝内良輔

1982年キリンビール滋賀工場入社。市場リサーチ室長などを経て、2010年にライオン社の常勤取締役としてシドニーに赴任。現在も同社の非常勤取締役を兼務。2017年からキリンホールディングス株式会社常務執行役員としてグループのCSV(Creating Shared Value)を担当。

仙台工場被災と復旧までの道のり

1923年に操業を開始し、東北地方で最も長い歴史を持つビール工場として知られるキリンビール仙台工場。

3月末から仙台工場長に就任予定だった横田は、その日、工場での引継ぎを終えたのち、取引先への挨拶回りで仙台市内にいました。仕事がひと段落して、帰路につこうとしたその時、地震が発生したのです。

「工場は大丈夫だろうか」揺れが収まってすぐ、タクシーをつかまえて、工場へと向かった横田。しかし、停電の影響で信号機も止まっており、なかなか前に進めない状況でした。いつもの倍の時間をかけ、工場まであと数百メートルというところまで来たとき、川の向こうから真っ黒な土石流のような津波が流れてきたのが見えたといいます。

「前から押し寄せてくる波を見て、慌ててUターンしてもらいました。もう、命からがらという状況でしたね。結局、その日は工場まで辿り着けず、電話で連絡をもらいました。幸い、全員無事だということでホッとしたのを覚えています」

工場長に就任する直前に被災した横田は、しばらくの間、避難所で暮らすことになりました。

その後、3月29日に着任した横田が最初に取り掛かった業務は、工場の被害状況を把握することでした。ビール貯蔵の巨大なタンクは震度6強の地震で倒壊し、2.5mほどの津波が押し寄せた工場内の設備は各所が破損。現場には目を覆いたくなるほど悲惨な光景が広がっていました。

「製品在庫の多くは工場外に流れ出しており、とても操業できるような状況ではありませんでした。本当に絶望的な状況で、見るのも辛かったです」と横田は話します。

電気が通っていないため、異様に静まり返った工場内。頭にライトをつけ、足場を確認しながら散乱した資材・製品を乗り越えて、内部をくまなく点検しましたが、そこに製造工場の面影はありません。ありとあらゆる場所に製品や泥が流れ込んでいました。

横田は流れ出た廃棄製品の撤去や片付け作業と掃除といった復旧作業を、出社可能な従業員と始めることにしました。
一体どれだけの時間がかかるか想像ができなかったものの、この復旧作業を横田は「ある意味チャンスかもしれない」と捉えていたといいます。

「従業員の中には、家族が被災された方もいます。まずは従業員のケアを最優先に、できるだけ多くの人に現場に出てきてもらい、一緒に復旧活動に参加してもらいました。そうすることで、本人だけでなく家族の支えに繋がります。自分の職場を取り戻すんだという強い信念があったので、絶望的な状況でも従業員同士で協力して前に進んでいくことができました。それが、従業員の生きがいや自信を取り戻していくことにつながると信じていたんです」

泥に浸かった機械を分解して組み直したり、新しい部品を交換したり、ゆっくりと、でも着実に進んでいく工場の復旧作業。他の工場からの支援もあり、ノウハウを共有しながら、仙台工場は一歩ずつ製造機能を回復させていきました。

「工場の設備についてゼロから学び直すことになるのですが、それは個々の能力向上に繋がります。それに、瓦礫をひとつひとつ撤去するところから全員が参加して、そこから商品が生産できるところまで積み上げていくというのは、究極のチームビルディングではないかと思ったんです」

懸命な復旧活動の結果、同年の9月には工場の稼働を再開。震災から8ヶ月後の11月には岩手県遠野市で収穫したホップを使用した『一番搾り とれたてホップ生ビール』の発売まで漕ぎ着けることができました。

「3月11日の震災以降、約100日間におよぶ清掃・片付け作業を行い、その後の設備の点検・修繕作業を乗り越え、9月26日に東北ゆかりの『一番搾り とれたてホップ生ビール』で仕込を再開しました。そして、関係者一丸となった取り組みが実を結び、仙台工場産のビールの出荷再開を果たすことができました。」
2011年 11月2日 キリンビール株式会社ニュースリリース「仙台工場出荷再開『一番搾り とれたてホップ生ビール』
出荷を見送る社員たち

当時を振り返って、横田はこういいます。
「出荷式のセレモニーには、参加できる従業員にはみんな来てもらいました。汗と涙の結晶のような商品ですから、最初のトラックを見送ったときは本当にもう感無量で、言葉にならない想いでした。その瞬間を迎えることができたのも、すべては従業員たちの努力のおかげ。時間も心の余裕もないなか、目標に向かってみんなが足並みをそろえて前に進んでいけました。それは、理想的な組織の姿だったと私は思います」

復旧できなかったもうひとつの震災

東日本大震災より少し前の2011年2月22日、ニュージーランドではクライストチャーチ大地震が発生。この地震では、キリンのグループ会社であるライオン社のカンタベリー工場が被災しました。

当時、ライオン社の取締役としてオーストラリアのシドニーに駐在していた溝内はカンタベリー工場の被害について、次のように振り返ります。

「2月22日の地震では、工場の建物が傾き、床が落ちて、製造ラインが破壊されるという甚大な被害がありました。もともと古い建物で、日本の建築と比べると耐震は弱かったんです」

被災した工場の跡地は物流拠点にしようという話もありました。しかし、その土地は再開発計画で地目が変わり、トラックの乗り入れが難しい状況になったため、経営判断として工場の閉鎖が決定したのです。

クライストチャーチの市街地は、地震の影響でどんどん人が離れていきました。市街地の被害によって住処を失った人々が郊外へと移り住んでいった結果、クライストチャーチの街中では多くのお店が廃業。ニュージーランドの人々にとって欠かせない「パブ」も、次々と姿を消していったのです。

「ニュージーランドの人たちにとって、パブはなくてはならない場所です。ニュージーランドではパブでお酒を飲む文化があり、そこは人々が集うコミュニティとして機能しているからです。郊外へと人が離れてしまっているとはいえ、このままでは立て直しが進んできた時に人々が集う場所がなくなってしまう可能性がありました」

その後、この街には工場からクラフト・パブ・ブルワリーに姿を変えて新しいコミュニティが誕生することになります。

東北の復興支援のその先

東日本大震災から4ヶ月後、私たちは東北地方への寄贈事業として『復興応援 キリン絆プロジェクト』を開始しました。これまでに60億円超を拠出し、復興支援に取り組んできています。

しかし、プロジェクトを進めるなかで浮き彫りになってきた課題もありました。現在、CSV担当役員を務める溝内は、「復興支援をするうえで、寄贈事業はもちろん必要なことですが、寄付というのは一時的なもの。使ってしまったら終わりなので、次に繋がりにくいのが実情です。だから、支援を持続可能なものにしていくためには、事業を通じて資金を再投資していく必要があるんです」と寄贈事業という支援の持続性には限界があることを実感したといいます。

その後、私たちは長期的な支援持続のために、寄贈だけでなく、社会に貢献しながら、経済価値を創出していくという戦略に舵を切りました。
具体的には、自社の事業と持続的な東北の復興支援を両立させる取り組みとして、原発事故の風評被害に苦しんでいた福島の生産者と協力して開発した『キリン氷結® 福島産和梨』の発売や、東北のホップ産業支援など、地域発展に繋がる経済活動を積極的に行ってきました。

絆プロジェクトの取り組み内容はこちら

新しく生まれ変わるカンタベリー工場

一方、ニュージーランドでは、クライストチャーチ大地震からの復興が進み、徐々に人が戻ってきた2018年に、ライオン社がクラフト・パブ・ブルワリー『Fermentist』を開業しました。

『Fermentist』のコンセプトは、「サステナブル」。地震で借り手がいなくなった建物を改装し、「健康」「地域社会・コミュニティ」「環境」を軸に据えたパブが誕生したのです。

メニューには、発酵食品など健康づくりを意識した食材も積極的に取り入れ、心体ともに健やかになってもらうように工夫。食材やビール原料はカンタベリー郡のものを使用することで、地域社会を活性化。CO2排出量を抑えて製造したニュージ―ランド初のカーボンゼロ認証ビール「Kiwi Pale Ale」を提供するなど、環境に配慮した経営が行われています。

クラフト・パブ・ブルワリーとして新しく生まれ変わったコミュニティは、日本の「キリン 絆プロジェクト」で培った、事業を通して社会課題を解決するという経営戦略をニュージーランドで具現化したものでした。

コミュニケーションの場としてのパブの重要性について、溝内は次のように話します。
「お酒は公共財なんですよね。コミュニティがないと、お酒の消費はないんです。ですので、コミュニティを守るのは、私たちの事業の基盤を守ることにも繋がると思っています」

「再構築」に向けて。これからを考える

仙台工場とカンタベリー工場。辿り着いたかたちは異なるものの、震災から10年という時間をかけてそれぞれが復興と再構築を果たしました。

元仙台工場長の横田は、震災からの10年を振り返り、次のように話します。

「東日本大震災しかり、おそらくこれから先も想定外のことは起こるでしょう。仙台工場が危機を乗り越えられたのは、やはり『人材と技術』のおかげだったと思います。大きな課題は、ひとりでは乗り越えられない。だから、人と技術を結集させて、強い組織を作っていくことが重要だと感じています」

カンタベリー工場の被災を間近で経験し、帰国後はCSV担当役員として尽力してきた溝内は、さらなる社会の課題解決に向けて今後の展望を次のように語りました。

「私たちは食品メーカーである以上、気候変動による原料のリスクを受けやすい立場にあります。ですので、原料を安定して確保し事業を持続するためにも、気候変動の問題とは真剣に向き合わなければいけません」

予測不可能な自然災害や感染症といった脅威が起こりうるリスクは、これからもゼロではありません。どんな状況にあっても、地域や社会というコミュニティの一員として独自に培ってきた技術を活かし、私たちキリングループだからこそできる継続的なアプローチを模索し続けながら行動していきたいと考えます。

※所属、役職等は公開時のものです

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