予防医学者と語る、幸福をサイエンスする「ウェルビーイング」という考え方

  • Photo : 高橋マナミ
  • Text : 辻本力
  • Edit : 金津朋幸

高齢化社会と言われる日本において誰にとっても身近なテーマになりつつある「長寿」。ただ長寿であっても、健康で幸福でなければ、辛い年月が続くことに……。そこで注目されるのが、心身ともに、さらに社会的にも健康に働ける状態を指す「ウェルビーイング(well-being)」という概念だ。ウェルビーイングはいまやわれわれの日常生活だけでなく、企業経営やマネージメントの分野においても重要な指針となりつつある。

ウェルビーイングを研究の中心に据え、精力的に発信を続ける予防医学研究者の石川善樹さんと、健康な人の免疫の維持をサポートするキリンの独自素材「プラズマ乳酸菌」を発見したKIRINヘルスサイエンス事業部の藤原大介。二人が「人生100年時代」について語り合うなかで見えてきた、これからの健康と幸福のかたちとは?

INDEX

  1. 「客観的」ウェルビーイングから「主観的」ウェルビーイングへ
  2. 資源でも資本でもない。従業員は「ヒューマン・ビーイング」である
  3. 差異化の鍵にも。ビジネスにおいても重視される、ウェルビーイングの視点
  4. 「人生100年時代」を生き抜くための「ウェルビーイング寿命」という考え方
  5. アンチエイジング時代に問われる「命の質」

石川善樹予防医学研究者、医学博士

1981年、広島県生まれ。東京大学医学部健康科学科卒業、ハーバード大学公衆衛生大学院修了後、自治医科大学で博士(医学)取得。公益財団法人Wellbeing for Planet Earth代表理事。「人がよく生きる(Good Life)とは何か」をテーマとして、企業や大学と学際的研究を行なう。専門分野は、予防医学、行動科学、計算創造学、概念進化論など。近著は、『フルライフ』(NewsPicks Publishing)、『考え続ける力』(ちくま新書)など。

藤原大介キリンホールディングス(株) ヘルスサイエンス事業部部長 兼 R&D本部キリン中央研究所フェロー

東京大学大学院農学生命科学研究科を卒業後、1995年キリンビール・基盤技術研究所に入社。その後、基礎研究に従事し、理化学研究所及びカリフォルニア大学ロサンゼルス校留学を経て、現部へ。専門は免疫学・微生物学。

「客観的」ウェルビーイングから「主観的」ウェルビーイングへ

——まず最初に、石川さんが現在研究の中心に据えている「ウェルビーイング(Well-being)」の定義について教えていただけますでしょうか。

石川:ウェルビーイングとは、文字どおり「良い状態」という意味ですが、そのときに2つ考え方があります。1つ目は「領域」で2つ目は「観点」です。まず1つ目の「領域」についてですが、もっともポピュラーなのは「身体」「精神」「社会」の3点です。「身体」は、身体の健康。「精神」は心の健康。「社会」は、例えばお金の有無、学歴、仕事やつながりなど、社会のなかでのその人の地位や役割、位置づけみたいなものです。そして2つ目は、その3点を眺めるときの「観点」です。客観的に見て良い状態か、主観的に見て良い状態か、という2つの見方があります。つまり、「3領域×2観点」から成る6つのエリアに、どのような指標を当てはめていくかがスタート地点になります。

ウェルビーイングを構成する3つの領域と2つの観点。これまでは「身体×客観」が重視されてきたが、現代では「精神×主観」に注目が集まっている

石川:ちなみに、これまではずっと「身体×客観」を重視する研究が中心でした。つまり、ウェルビーイングといったときに、それは「客観的に見て良い状態=身体に疾患がない状態」を指していた。あるいは、対象が「社会」になったときも同様で、例えばSDGsにおいて達成すべきとされている目標は、客観的に見て「こうすると社会が良い状態になるでしょう」という観点からつくられています。しかし、現在では「良い状態」の範囲がかなり拡張し、これまで欠けていた「精神×主観」、つまり「主観的なウェルビーイング」に大きな注目が集まっています。

石川善樹氏

藤原:私は、ウェルビーイングというのはスローガンや精神論みたいなものだと勘違いしていたのですが、石川先生の著書を拝読して、むしろ「Way of thinking」、脳みそをどのように働かせれば人間の能力を最高に発揮できるのか、をめぐるサイエンスなのだと気づきました。

石川:徐々にサイエンスになっていった、という感じでしょうか。昔々、ウェルビーイングは哲学や宗教のように、専門家が考え「これがウェルビーイングです」と定義したものにみんなが従うような時代があった。これが第一フェーズです。でも、いまは人が決めたものにただ従う、という時代ではありませんよね。そこで、研究の第二フェーズでは、人は何をもって「良い生活」「良い人生」と考えているのかを調査する段階に入りました。つまり、専門家の議論から、一般の人に素朴に意見を聞く、ということに移っていった。人に「幸せですか?」と聞いたときに、「幸せです」と答える人と、「不幸だ」と答える人がいます。この違いは何だろう? ということを探っているのが、ここ半世紀くらいのことです。

藤原:個人の幸せの定義、という感じでしょうか。それが、いわゆる「主観的なウェルビーイング」である、と。

藤原大介

石川:そのとおりです。それでわかってきたのが、主観によってウェルビーイングのかたちは変わってきますが、それを左右する要因自体は非常に似通っている、ということです。例えば、わかりやすいのは「お金」に対する考え方です。給料という要因については、ほとんど誰もが「高いほうが良い」「高いほうが幸せだ」と答える。でも面白いのは、その高い給料を何に使うか、ということに関しては、人によって答えがまるで違ってくるんです。旅行に使いたいという人がいれば、家に使いたい人、車に使いたい人もいる。

つまり、お金の使い道で、人によって実現したいウェルビーイングのかたちが変わってくるということですね。その発見から、「要因」に働きかけることで、多様な人々のウェルビーイングに貢献できるのでは、ということになった。いまは、その方向でさまざまな調査や研究が進んでいます。

資源でも資本でもない。従業員は「ヒューマン・ビーイング(人間)」である

——石川先生は、海外の調査データなどもたくさんご覧になられていると思うのですが、日本独特のウェルビーイングの課題みたいなものはあるのでしょうか。

石川:まず、身体の領域に関しては、日本は世界トップレベルで良い状態です。一方で、精神や社会領域には課題が多々見られます。特に、社会領域に関しては、つながりの脆弱性が顕著です。基本的に、人はいろいろなコミュニティーに所属しているほうがウェルビーイング度は高いのですが、日本人は「家族」・「家庭」という居場所以外では、友達や知人が少ない傾向にあります。海外のキリスト教文化圏のように、日常的に教会に行くこともなければ、ボランティア活動に参加するでもない。こうした孤独な在り方は精神領域にも影響を与えていますし、さらにはストレス社会特有の問題も多く、長らく自殺率も高いまま推移しています。

藤原:そういった社会的な課題を解決するために、企業ができることは何だと思いますか。

石川:まずは、従業員を「ヒューマン・ビーイング(人間)」として認め、従業員の幸福のために経営を見直すことですね。どんな会社も、創業の頃は人数も少ないから、お互いが人間として「どう生きるのか」みたいなことについても考える。でも、規模が大きくなってくると、どうしても従業員は会社にとってリソース(資源)的なものになっていく。ある種の部品みたいな。

藤原:最初は、やはり理念が大事なので、何のために会社が存在しているのかを突き詰めて考えますよね。それが、いつからか組織を維持するための方策が主眼になっていき、結果的におかしなことになってしまう。

石川:企業はいままで、従業員を「ヒューマン・リソース」として扱ってきました。でも最近では、「ヒューマン・キャピタル」、すなわち人的資本と考えるようになってきた。資本であれば、投資をしなければなりません。人的資本経営なんて言葉もありますが、現在は、従業員がコストではなく投資対象へと変わり、企業が従業員にちゃんと投資しているかどうかの情報開示を求められるようにもなってきた。投資家も、そうした点を重要視し始めているんですね。なぜかといえば、企業価値に占める人的資本の役割が大きくなっているからです。

でも従業員は、リソース(人的資源)でもキャピタル(人的資本)でもなく、ただ「ヒューマン・ビーイング」なんです。そもそも、一人の人間としてちゃんと興味を持ち、尊重して接しているか? ということが問われています。

ちょっと視点が変わりますが、そもそも企業は「誰のウェルビーイング」を大事にしているのか、ということも重要視されるようになりました。これまで企業が大事にしてきたのは、ふた昔前なら銀行ですし、あるいは過去30年間は株主だった。つまり、お金を貸してくれる銀行や、株主のウェルビーイングに助けとなることをせっせとやってきた一方、そのほかのステークホルダーはあまり重要視してきませんでした。例えば従業員の給料が上がらなかったり、研究開発にあまり投資してこなかったり、といった具合に。

でも、そういった従業員や研究開発への投資をちゃんとやらないと、中長期的な発展がなくなってしまう。その反省から、いまはステークホルダー資本主義へと移行しつつあるように思います。がんばって生み出した利益を、すべてのステークホルダーのウェルビーイングのためにどう配分し、かつどう企業として成長していくか。そうした新しい資本主義のかたちが問われています。

差異化の鍵にも。ビジネスにおいても重視される、ウェルビーイングの視点

藤原:では、会社のウェルビーイング度を上げるために、従業員一人ひとりはどんなことができるでしょうか。

石川:私たちは、隣で働いている人がどんな業務をしているかはよく知っているけれど、「どんな人なのか」は意外と知らなかったりしますよね。だから、「仕事の話題に一切触れずに、隣席の○○さんのことを紹介して」なんて言われると、「ウッ……」となってしまう人が多い。自社の仲間について、お互いに他己紹介できるくらいまわりに興味を持とう、といったようなシンプルなことが、ウェルビーイング回帰のきっかけになっていくと思うんです。

藤原:その人が大事にしている信念や趣味嗜好を理解したうえで仕事をしたら、「この人はこういう分野が得意だから、任せたらさらに伸びるんじゃないか」といった考えも生まれそうですし、画一的ではない働き方ができそうです。

石川:ただ、いまはハラスメント時代でもあるので、個人の領域に踏み入るのが難しくなっている面もあります。でも、そこに果敢に挑戦している人事の方もいるので、まだまだやり方を模索する余地はあるように思います。

——石川さんはお仕事柄、企業からビジネスをするうえでどのようにウェルビーイングを実現していけばいいのか、というような相談を受けると思うのですが、実際はいかがでしょう?

石川:商品やサービスの開発に、ウェルビーイングの視点を入れたい、という企業が増えてきています。その背景には、企業が自社の事業に、明らかな課題を見つけにくくなっている、ということがあると思います。「良いものをつくったけど、これをどうほかの商品と差別化していけばいいのか?」という問題ですね。例えば、生命保険企業はいま、業界を上げてウェルビーイングに舵を切っているのですが、それは、もはや死亡保証・疾病保証だけではサービスの差異化ができないからなんです。

こうした状況には、もう一つ、「健康寿命」というものの捉え方が変わりつつあることも大きく関係しています。従来の健康寿命の定義は、「日常生活に支障がない」というものでした。すなわち、「健康寿命=疾病や障害がない期間」という考え方ですね。ここには、ウェルネスやウェルビーイングの考えが入っていません。

さらに言えば、そもそも疾病や障害を抱えた人は幸せではないのか、という疑問もあります。肉体上は疾病や障害があるかもしれないけれど、精神的・社会的にはウェルビーイングであることは十分あり得ますよね。逆に、肉体上は問題がなくても、精神的・社会的にウェルビーイングじゃないという人もいる。これからは、そうした視点も加えた、いわば「健幸寿命(ウェルビーイング寿命)」というものが次に出てくると思います。

藤原:そうすると、「健康」に貢献する要因というものが、いままでとはだいぶ変わってきますね。

石川:健康の定義が、大きく変わることを意味します。これまでは身体の健康のみに注目し、寿命を延ばすために塩分控えましょう、運動しましょう、禁煙しましょう……みたいな話に終始していましたが、ウェルビーイングの観点が入ることで、例えば文化・芸術体験を積極的にしましょう、みたいなことも重要になってくる。

藤原:いわゆる「人生100年時代」の健康、ということですね。昔は、100年生きられるなんてファンタジーの世界だったから、みんな憧れていたけれど、実際にそんな時代がやってきたいま、逆に「え、100年も生きるの? 冗談じゃないよ」みたいに思う人もいるかもしれません。でも、ウェルビーイングな状態で100歳までの人生があるなら、それはウェルカムということになるはずです。

「人生100年時代」を生き抜くための「ウェルビーイング寿命」という考え方

藤原:昔から不思議に思っていることがあるんですが、人間って、本当に親しくなりたいときには、必ず相手と飲食をともにしますよね。ただ話し合いをするだけではなく、食事やお酒を介在させる理由は何でしょうか?

石川:原始的には、歌って、踊って、酒を飲み交わしたんですよね。それが仲良くなるときの基本だった。なぜかと考えると、これらの行為は、総じて脳内で愛情ホルモンである「オキシトシン」という物質を発生させるからなんです。歌ったり踊ったりすると、脳内の二酸化炭素濃度が高まりストレスホルモンが分泌される。

すると、ストレスから身を守るためにオキシトシンがバーっと出る。だから、カラオケや合唱などは、やっていると気持ち良くなるし一体感が生まれるし、最高ですよね。お酒にも、共感を強めるという研究結果が発表されています。そうした効能が、無意識のうちに、コミュニケーションに飲食を伴わせる習慣へとつながっていったのではと考えられます。

藤原:非常に腑に落ちるお話です。いま私が在籍しているのは、ヘルスサイエンス事業を担う部署で、それこそ、客観的な視点からお客さまの身体の健康に貢献することを生業としています。また一方で、キリンは酒類事業や飲料事業を持っていて、そちらでは「心」や「絆」、あるいは「コミュニティー」のような領域に貢献すべく仕事をしています。

石川:「健康(Health)」の定義を広く取られている、ということなのだと思います。身体だけでなく心も、と。でもそれは、じつは健康の本来的な定義に戻るということでもあるんです。現在の「Health」を定義した世界保健機関(WHO:World Health Organization)は、健康というものを「病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてがウェルビーイングな状態にあること」と定義した。そこではじめて「ウェルビーイング」という概念が生まれました。ときにアルコールは、健康にとって害悪であると目されることもありますが、その視座に立ってトータルで考えると、精神的・社会的な健康に与する大事なツールであるとも言えます。

藤原:ありがたいお言葉です。さまざまな角度から、ウェルビーイングな会社になっていきたい、というのがキリンの理念です。そのためにも、「健康」に対してさまざまな接点を持つべく、試行錯誤を重ねているところです。

アンチエイジング時代に問われる「命の質」

藤原:ヘルスサイエンス事業では、健康と病気のあいだにある「未病」の領域を扱っているのですが、そのなかで、これからは「アンチエイジング」の重要性が増していくものと考えています。「老いと健康」に、ウェルビーイングはどのように関係してくると思いますか?

石川:今後、老化を抑えること、つまりアンチエイジングに成功したら、医学は命の「長さ」だけでなく、命の「質」にフォーカスせざるを得なくなるでしょう。そこでの満足がなければ、先ほど藤原さんがおっしゃっていたように「そんなに長く生きるのはしんどいよ」ということになってしまいますからね。

藤原:命の質——ますますウェルビーイングというものが大切になってきますね。私は、ヘルスサイエンス事業は物売りになってはいけないと思っているんです。人々にウェルビーイングになってもらうことこそが核であり、その理念を常に思い描くことが大切であると、今日はあらためて思い至りました。もっともメーカーとしては、お客様と「商品」を介してつながることがメインになってきます。そのときに、ウェルビーイングの思想をどのように盛り込んでいけばいいのか? それが今日、私の得た宿題なのだと思います。

公開日:2022年4月14日

※内容、所属、役職等は公開時のものです
※取材は新型コロナ感染防止対策を行なったうえで実施しています

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