まだまだワンダーな脳の世界。脳科学者と考える「脳の健康」

脳科学者 / 恩蔵絢子

キリンホールディングス(株)R&D本部 キリン中央研究所 研究員 / 中﨑瑛里

「人生100年時代」とも言われる現代日本。しかし、そこには「認知症」のような、解決すべき喫緊の課題も少なくない。

キリングループでも、日々の明るい気持ちや晴れない悩みは脳の働きと密接に結びついていることに着目し、ヘルスサイエンス領域を中心に「脳の健康」を守り新たなよろこびを生み出す、「キリン脳研究」を進めている。

身体の一部でありながら、何かと謎の多い器官である「脳」。そこに潜む、人間のさまざまな可能性とは——?

認知症になった母との生活を脳科学者の視点で考察した『脳科学者の母が、認知症になる』の著者・恩蔵絢子氏と、キリンで脳研究をはじめとした新素材の探求や研究に力を注いでいる中﨑瑛里との対談が実現。今・これからの「脳の健康」について徹底談義してもらった。

恩蔵絢子

脳科学者

東京工業大学大学院総合理工学研究科知能システム科学専攻博士課程を修了、学術博士。2022年5月現在、金城学院大学・早稲田大学・日本女子大学で、非常勤講師を務める。著書に『脳科学者の母が、認知症になる』、訳書に『生きがい』(茂木健一郎著)、『顔の科学』(ジョナサン・コール著、茂木健一郎監訳)がある。

中﨑瑛里

キリンホールディングス(株)R&D本部 キリン中央研究所 研究員

発酵技術で生産する健康機能性素材の評価やエビデンス取得に携わる。入社以来、10年間にわたりシチコリンを担当。2015年、博士号(環境学)取得。2020年7月、キリンホールディングス株式会社R&D本部キリン中央研究所に異動。2022年4月より経営企画部兼務。新素材の探求やHMO(ヒトミルクオリゴ糖)などの研究企画にも力を注いでいる。

01

「脳」は独立した器官にあらず。研究者たちの考える、人間の「心」と「身体」

中﨑瑛里

まずは、お2人のこれまでの研究について伺えますか。

中﨑私は、「食」の領域において人に良い影響を及ぼす機能とは何なのか?ベネフィットとは何なのか?を追求しています。学生時代は栄養学や分子生物学が専門で、植物中に含まれるポリフェノールなどの抗酸化成分を細胞に与えて、どんな影響が現れるか、といった実験を繰り返していましたが、徐々にそうした基礎研究を社会実装する方向へと関心が向いていきました。そのためには、やはり企業で働くというのが最短の道と考え、現在はキリンの傘下となっている協和発酵バイオに就職することを決め、食品の機能性を評価するという切り口で研究者としてのキャリアをスタートさせました。

入社後は、「脳機能に可能性がある素材を研究する」というテーマをもらい、以来、欧米を中心に脳の健康維持への貢献が期待されている成分「シチコリン」の研究などを続けています。

恩蔵絢子氏

恩蔵私は、大学時代の専門は物理でした。そこから、より複雑で解明することが難しい「人間の心」の領域に関心が向かっていきました。そして、人間の高次脳機能(言語や行為、知覚、認知、記憶、注意、判断、情動など、大脳で営まれるさまざまな機能のこと)に関わる研究をするようになって。

また近年は、人間の高次脳機能を最大限に高めたような存在である「人工知能(AI)」に大きな注目が集まっていますが、AIが、無限に情報を収集し、それを元に無限にアウトプットが可能な存在だとすると、一方の私たち人間は、この1リットルほどの小さな脳を使ってなんとか生きていかなければならない。これはまあ、すごく心細いものです。そこで現在は、そんなささやかな、しかしさまざまな可能性を秘めた「人間の脳」を最大限に活用するために、どんなことをすればいいのか、というところに関心が向かいつつあります。

例えば、どんな栄養を与えたら、脳はより活性化するのだろうか?といったことですね。つまり、脳を独立した器官ではなく、もっと「身体の一部」として捉える視点を持つべき、と考えるようになりました。いわば、中﨑さんの研究・開発領域である機能性食品のようなものの重要さに、遅ればせながら思い至った格好ですね。

02

母の生を否定されたくない。脳科学者が認知症にアプローチした理由

恩蔵さんは、認知症になられたお母さまとの生活を、脳科学者の視点で考察された本『脳科学者の母が、認知症になる』を2018年に上梓されました。認知症へのアプローチを考えた時に、脳科学と医療とでは、どのへんに大きな違いがあるのでしょうか?

恩蔵基本的に医療は、予防や「治す」という方向に向かいますよね。でも、認知症には、完治させる薬がないという現状があります。一方の脳科学は、認知症を治すのではなく「受け入れる」という方向において役に立つと考えています。それは、さまざまな研究を経たことで、人間一人ひとりの脳がいかにバラエティ豊かであるかを知っているからこそ、できるアプローチだと思います。

例えば、近しい高齢者が老化によって脳が変化する時期を迎えた時に、「あれ?なんかおかしいぞ」と怖がったり拒否してしまったりすることがあると思います。でも、脳の多様性を知っていると、「まあ、あるよね」と穏やかに受け入れることができる。というのは、老化によって生じる言動の違和感って、すごく既視感があるんですよ。

中﨑つまり、もっと若い時に経験している、と?

恩蔵はい。思春期の子たちの言動とすごく似ているんですよ。思春期って、ホルモンのせいもあって、感情をコントロールできなかったり、衝動的な行動をしちゃったりする。私自身、中高生の頃はかなりこじらせていたクチなので、すごくよく分かるんですけど(苦笑)。そう考えると、決して「未知」なものでない。「ああ、あの感じか…分かるわ」となったら、少しは身近に感じられて、怖さもやわらぐと思うんです。

私は、世の中の多くの人が、認知症の人を「こういうふうにだけはなりたくないな」と思ってしまっている現状が寂しかったんです。それって、自分の母の生が否定されているようなものですからね。そんな社会の認識を変えたい!という強い想いから、あの本を書いたようなところがあります。

03

必要なのは「安全に冒険ができる」環境。脳の健康は「新しい経験」が作る

身体の健康については、健康診断などの判断基準もあるので、ある程度イメージできるのですが、それが「脳」となると、身体の一部分でありながら、ちょっと分かりにくさを感じます。研究者のお立場から「脳の健康」をどのように考えていますか?

恩蔵疾患の有無というのももちろんあるのですが、私は「新しい経験に対して、積極的に挑戦できるかどうか」で脳の健康度を測れると考えています。

中﨑意外な回答でした!てっきり私は、脳トレのようなテストのスコアで判断されるものと思っていました。

恩蔵年を取って元気がない人を見ると、ルーティンで暮らされているケースが多いんですよね。日々やることが決まっていて、その繰り返しになっている。それは安心して過ごせるというメリットもありますが、一方で、脳が一番発揮すべき力を発揮できていないとも言えるんです。新しいことに挑戦すると、脳はそこで得た新規の情報を処理する必要が出てきます。すると、「感情」が動く。さらに、その経験がうまくいくと、脳は満足して神経伝達物質のドーパミンを放出し、人に「快」をもたらします。これが脳全体を活性化させる。

もちろん、初めての経験に緊張したり、不安を覚えたりもするでしょう。でも、それは同時に「楽しみ」というポジティブな感情を引き起こすことにも繋がります。だから、それら全部ひっくるめて、大切な「刺激」なんです。

感情こそが健康のバロメーターであることを、もっともっと多くの人に知ってもらいたいですね。

中﨑なるほど。でも、年を取るに従って、自然と新しいものよりも、慣れ親しんだものに安心してしまうというというのはありますよね。

恩蔵確かに。でも、そこには、ある種の誤解もあったりするので、いろいろとアプローチのしようはあると思っています。例えば、ある動物園に鹿肉が大好物なトラがいて、飼育員さんがトラを喜ばせるために毎日鹿肉をあげ続けるとします。もちろん、分かりやすいように、いつも同じ餌場に置きます。すると、そのトラは喜ぶどころか、だんだんと落ち着きなく徘徊するようになり、しまいには身体を掻いてハゲを作ってしまいます。

これは、動物のためを思って作られた環境が、むしろストレスを与えてしまう一例です。本来、野生のトラというのは、毎日走り回って狩りをします。しかし、獲物が獲れる日も、獲れない日もある。それが自然です。でも、この動物園のケースでは、トラは苦労なく毎日好きなものを食べられる一方で、それと同じくらい大切な、食べ物を探索し獲得するという、「冒険の喜び」を失くしてしまったわけですね。

この状況というのは、認知症の患者さんの置かれている環境ともちょっと似ているんです。彼らは一人で外に出て行方がわからなくなるのではないかと、家族によって家に「安全に」閉じ込められてしまうことが多い。でも、行動を制限されたことでストレスが溜まり、結果としてみんなが油断した隙に外に出ていってしまうという悪循環に陥りやすいんです。認知症を持っていても新しい冒険は必要です。

中﨑安全のためにと、良かれと思ってやっているのに、逆効果になってしまうわけですね。

恩蔵人間には適度に新しい環境が必要で、 その方が楽しく暮らせるというのは、やはり普遍的な事実のようです。もちろん、新しいことばかりでも疲れてしまうので、ほどほどに、ですけれども。例えば高齢者なら、気心知れた誰かと一緒にお散歩のようなところから始めてみると、日常的に適度な刺激を得ることができるのではないでしょうか。

大事なのは、「ここでなら冒険ができる」という安心な環境をまわりが用意することです。例えば、家族や心を許せる人間が近くにいることで、「初めてのことで緊張するけれど、近くにこの人がいるなら、もし失敗しても大丈夫なはず」と思えて、新たな一歩を踏み出すことができる。人がどんな状態でもイキイキと過ごせる環境というのは、言葉としては矛盾するようですが、「安全に冒険ができる」ということに他なりません。

そしてこれは、高齢者に限った話ではありません。幼い子どもも、親という安心できる存在が隣にいるからこそ、自分にとって未知なるものに関心を示し、新しい経験に踏み出せるわけですから。結局は、コミュニケーションの話なんですよね。

04

なぜ飲料メーカーが脳研究を?キリンの歩んだシチコリンへの道

飲料メーカーであるキリンが、「脳」に着目したきっかけは何だったのでしょうか?

中﨑先ほど、恩蔵さんが「人間の心」「(脳は)身体の一部」というキーワードを出してくださいましたが、私たちキリンは、健康に生きていくためには身体「だけ」見ていてはダメだと考えたんです。つまり、恩蔵さんの「脳だけでなく身体も」という流れを逆に辿っていったわけです。人が「元気な状態」というのを考えると、身体的にも精神的にも元気である必要がある。つまり、身体だけではなくて、心の健康も考えなければなりません。その時に、心と密接に関わっている「脳」という存在を無視することはできませんからね。

恩蔵脳の健康に良いことが証明された成分「シチコリン」は、その一つの成果なわけですね。

中﨑はい。シチコリンは、協和発酵バイオにおいて、発酵でつくることのできる素材なのですが、日本では古くから医薬品として、脳障害治療の予後に投与する薬剤として使用されてきた歴史があります。私たちは、シチコリンに脳機能を維持したり、向上させる機能があることを、さまざまな実験を通して実証してきました。高齢化が進み、認知症がより大きな問題となりつつある現状を考えると、事前に「いかに抑えるか」という視点が大事になってきます。だからこそ、まだ健康で、認知症の症状が出ていない方にも「食品」「飲料」という形で摂取してもらい、予防に繋げるということが必要だと思うのです。

日本では規制上、利用が医薬品に限定されていて、まだ食品として流通はできていません。でも、アメリカではすでに使用されていて、飲料やサプリなど、いろいろな商品が世に出ています。ただ、焦ってはいけないな、とも思います。重要なのは、闇雲に「これはいいです!」と言うのではなくて、しっかりしたデータやエビデンスを元にお薦めし、納得のうえで飲んでもらう、ということです。そのためには、時間はかかりますが、じっくりと時間をかけて研究していく姿勢が大事だと考えています。

05

限界を決めつけてはいけない。認知症の母に見た、人間の生命力

恩蔵今後の展開が楽しみです。認知症に象徴されますが、脳の疾患は、一つのアプローチで対応するのでは不十分だと思います。運動も、栄養も、睡眠も——日々の生活全部込み込みでやっていかないといけない。これをすれば、これを飲めば一発で治ります!という性質のものではないので、エビデンスがしっかりあるものに関しては、とにかく全部やってみる、くらいの心意気が必要なのでは。そのうえで、その人に合う/合わないを見ていけばいい。そして、そうしたたくさんの選択肢の中の一つとして、私は中﨑さんたちがされている研究は素晴らしいと思います。サプリのような健康食品は、気軽に試せますし、医療との合わせ技で、それこそ「新しいことに挑戦してみよう!」という意欲も生むでしょうしね。

中﨑ありがとうございます、たいへん心強いです。でも、今日お話を伺って、私は少し反省もしています。私はこれまで、身体に不足する成分は、食品という形で補うことができればいいだろう、と過信していたフシがあって…。でも、そもそも人間に備わっている機能を十全に活用し、より強めていくというところに、もっと目を向けていく必要があるのかもしれませんね。

私たち研究者は、実験をするにも、商品を開発するにも、法律などのルールによって規定されてしまうことが多いんです。でも、これからは、今までの知識や常識から積極的にはみ出していくことも必要なのかもしれません。それが、人間という多様な存在にアプローチするうえで、より問われるようになっていく気がします。恩蔵さんは、これからどんな研究をしていきたいですか?

恩蔵高齢者の、もっと言えば「人間」の可能性を深掘りするような研究をしてみたいです。そして、認知症をただ「怖いもの」として忌避する社会を変えたい、という思いがあります。この病は、軽度の段階では、脳の海馬という組織のダメージから始まることが多い。そして、進行性の病であるがゆえに、それは時間を経ることでじわじわと他の組織へも広がっていき、さまざまな形で記憶に障害が表れます。これは大変なことです。でも、脳は複雑な器官ではありますが、機械ではありません。あるパーツがダメになったからといって、全体が機能不全に陥るとは限りません。人間は、ダメになったパーツを他のパーツが補完することでやりくりしたり、あるいは何度も何度も、予想外の蘇り方をしたりする。私はそうしたワンダーを、母の介護を通して何度も目の当たりにしてきました。

例えば最近、母は3カ月ほど入院をし、コロナもあったので、その間は面会が禁止されていました。重度の認知症である母は、その間に父や私のことを忘れてしまうのではないか、と不安に感じていました。でも、先日退院したのですが、ぜんぜんそんなことはなくて、以前とまったく同じ母がそこにはいました。その姿を見て、私はすごく「生命」を感じて、感動してしまいました。そして、人間の限界を決めつけちゃいけないんだな、と思ったんです。こうした人間のたくましさを、もっともっと世に伝えることで、認知症を極端に怖がったり、「なったら終わり」と絶望することのない社会を作りたい——それが今の私の一番の望みですね。

  • 撮影七緒
  • テキスト辻本力
  • 編集花沢亜衣、株式会社RIDE

公開日:2023年08月10日

内容、所属、役職等は公開時のものです

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