贅沢品から、家庭で当たり前に飲まれるものになったビール
今から約130年前の1888年にキリンビールを発売以来、キリンのその長い歴史は、日本人の暮らしと共にありました。
一方で、そんな暮らしの変遷を終戦以降見つめてきたのが、1948年に創刊された雑誌『暮しの手帖』です。衣食住をはじめとする様々な面から一人一人の暮らしの大切さを伝え続けてきた同誌は、「100号ごとに初心に立ち返る」という初代編集長・花森安治氏の意思を受け継ぎ、発行号数100号ごとに「第◯世紀」という区分でリニューアルを繰り返してきました。
『暮しの手帖』は、2019年の8-9月号から第5世紀に入り、総力特集には「ちゃんと食べてゆくために」というテーマが掲げられました。創刊から約70年にわたって日本人の“暮らし”を追いかけてきた『暮しの手帖』にとって、「食べる」というのはどういう位置付けにあるテーマなのでしょうか?
澤田暮らしというのは、基本的に衣食住という言葉で語られますよね。その中でも原点となるのは、人間が生命を維持していくための“食”だと思うんです。
僕は2015年から『暮しの手帖』の編集長をやっていますが、その間にも“食”に関して読者の迷いというのがいよいよ伝わってくる時代になったなと感じてるんです。そこで、リニューアル後の1号に据える中心テーマは“食”にしようと決めました。今改めて、「ちゃんと食べてゆくために」というのがどういうことなのかを考え直していきたいなと。ここでは「ちゃんと」が主眼点です。
老若男女それぞれの生活形態が違っていて、それぞれに悩みや希望を抱えているのだと思います。現代人って、みんななんか時間に追われていますよね。「ちゃんと」が難しい。その中で、どうやって“食”と向き合うかが大きな課題だなと思っています。
ビールというのは、我々日本人の暮らしに根付いた飲み物だと思うのですが、田山さんは食に対する戸惑いが感じられる時代にあって、その受け入れられ方も変わってきているという印象はありますか?
田山ものすごくあると思いますね。私が子どもの頃、高度成長期の日本では、ビールというのは贅沢品でした。それから、産業が豊かになってきて、物の価格も手頃になってきて、情報も溢れるようになってきて。そういう時代の流れの中で、ビールの存在や飲まれ方は大きく変わってきたと感じています。
80年代~90年代にかけて、それまで高級品だったビールは家庭で当たり前に飲まれるものになりました。
90年代の後半からは、発泡酒や第三のビールなど、より手頃な価格のビール系飲料が出てきて、一気に広がっていきましたよね。それと同時に品質も向上して、今は安くて美味しく飲めるビールがたくさんあります。
昔はビールって苦くて、味も濃いものだったと思うんです。それは時代的にも物が少なくて、みんな飢餓感を抱えていたので、「食べるもの=栄養」であり、同時に刺激のあるものが求められていたと思うんです。
私の祖父なんかは、お新香に塩や醤油をかけて食べていましたからね(笑)。
澤田そうそう。何にでも、塩や醤油や調味料をかけてましたよね(笑)。
田山食卓には必ず『食卓塩』っていうのがありましたから。たぶん、白飯をそれだけで食べられるようにという工夫だったと思うんですよね。今でも覚えていますけど、肉が食べられるってだけでも、本当にお祭りのような気分でしたから。