キリンに長年勤める従業員の足跡を振り返りながら、仕事人としての信念を探る企画『キリンのDNA』。
今回は、1985年に女性としてキリン初の理系総合職で入社し、現在は取締役常務執行役員を務める坪井純子に話を聞いた。経験のない業務やグループ会社への異動の連続。その度に挫折を経験し、新たな学びを得て、自分の道を切り拓いてきた坪井が、キャリアの道半ばにある後輩たちに伝えたいこととは。
坪井純子
キリンホールディングス株式会社取締役常務執行役員
1985年キリンビール入社。ビール、清涼飲料のマーケティング、広報などを長く経験する。2014年からキリン執行役員、19年にキリンホールディングス常務執行役員に就任。
01
学びは一生続くと教わった日
大学では理学部でライフサイエンスを専攻していました。就職先としては製薬会社などを考えましたが、男女雇用機会均等法施行の前年で、理系の研究員としての採用はもちろん、女性の正社員の採用枠自体がほとんどない時代。タウンページをめくり片端から電話をかけて「来春の採用枠はありますか」と問い合わせましたが、そもそも会ってもらえる企業が多くありませんでした。
そんな中、キリンは世の中に先駆けて、私よりも3学年ほど上の代から総合職で女性を採用していたんです。ただ、理系では例がなかったのですが、「そろそろ理系でも採用するので、会ってみましょう」と面談の機会をいただき、運良く入社することができました。
最初の配属は製造部で、横浜工場内の研究所の駐在です。当時は女性を生産現場に配属する発想はなく、学術部門で情報システムの構築や特許業務を担当しました。モノづくりに直接携わってみたいという思いもあり、いわゆるキャリア迷子のような状態もありましたね。ただ厳しい就活を経て採用してもらった会社への感謝の気持ちはありましたし、女性の先輩も少なかったので、「こんなものかな」と漠然と感じていました。
職場の環境はとても良く、先輩やリーダーから多くのことを教わりました。みんなとにかくよく勉強する。昼休みは英語の勉強のためにBBCニュースを一緒に見るとか、研究の参考文献を輪読するとか。社会人になってもこんなに勉強するのかという驚きがありました。
新入社員当時の工場長の忘れられない言葉があります。私を含めた同期4人が呼ばれて「君たちは大学で何を学んできたのか」と聞かれ、それぞれが自分の専攻の話をしたら「そういうことを聞いているんじゃない」と。「大学は学び方を学ぶ場所であって、卒業したら勉強が終わるわけではない。君たちは一生の学び方を学んできたはずだ」と言われました。
当時はまだ若かったですし、仕事で学ぶことも多かったので、「学びがずっと続く」のは当然と思っていたのですが、年を重ねてからこの言葉の重みをより実感するようになりました。誰でも経験を積み、特に成功体験があったりすると、「もう十分学んだ」と感じてしまう場面があるものです。そういうとき、「もうできた」でなく、「もっとできる」に気持ちを切り替えて学び続けるかどうか、それが大事なんだと。あの時の工場長の言葉はそういう意味だったんだと。私はもともと怠惰な性格なので、そうやって自分を鼓舞してきたように思います。
02
異動の度に挫折…アップダウンを繰り返す
その後、入社6年目でマーケティング部門に異動することになりました。この異動は本当に青天の霹靂。モノづくりがしたいとずっと希望していたので「それならマーケティングはどうか」と声がかかったのかもしれませんが、自分のキャリアを思い描くとき「マーケティング」はまったく頭にありませんでした。ビール・飲料業界が、まだマーケティング競争の時代ではなかったこともあるかもしれません。
当時は正直なところ「ちょっと違うのだけど……」と思いました。
マーケティングでは最初にキリンビバレッジで「午後の紅茶」のブランドマネジャーや、新商品「シャッセ」の開発、キリンビールでは「秋味」の開発とブランドマネジャーを担当しました。どのブランドも思い入れがあります。失敗もたくさん経験し、開発したのに発売決裁がもらえなかった商品や今はもう終売してしまった商品も多々あります。けれども逆にそういう商品ほど強く心に残り、「なぜ、うまくいかなかったのか」と問い続けて、たくさんの学びを得た気がします。
その後も予期しない異動が続きました。マーケティングの次はキリンビールとキリンビバレッジで広報を長く経験した後、横浜赤レンガ倉庫の社長、さらにコーポレート部門で、CSR(当時)、コーポレートコミュニケーション、ブランド戦略、そして今は人事総務担当です。
基本的にはキャリアを自分で選択する時代ではありません。それまでとまったく違うセクションに異動すると、その度にゼロから学ぶことばかり。最初は自分の過去の経験が否定されたように感じることもありました。少し成功体験を積んでも、別のセクションに移ってまたゼロから。異動のたびに挫折し、アップダウンを繰り返してきた気がします。
でもあるとき、違う仕事に飛び込むことで自分の世界が広がっていることの意味に気づきました。そして何より、全く異なる仕事も「ゼロから」ではないこと。これまでの経験が自分のある意味での専門性、つまり強み、アンカーになって、別の形で生きてくるのだと。環境が変わって「過去の経験がゼロになる」と感じるのは、自分が勝手に自分の枠を狭めているからだと思い至りました。
そして強みの軸を持ちながら多様な経験をすることで、むしろ専門性が磨かれるし、視点もひろがる。そう気づいてからは、予期しない異動があっても「そう来たか」と楽しめるようになりました。
私の強みは「マーケティング」だと思っていますが、その後の広報や商業施設の社長、現在の人事総務も、マーケティングでの経験をベースにしながら、新しい多様な経験をしてきたとも捉えられます。
03
プレイヤーからマネジャーへの切り替えに苦戦。一段上の目線を持つことで視界がひらけることを学んだ
部門の異動だけでなく、マネジャーになったときもチャレンジでした。キリンビール広報部(当時)で初めてチームリーダーになったのですが、なかなかマインドを切り替えられず、悩みました。本当にダメなリーダーだったと思います。
昨日までの後輩がメンバーになる。互いによく知っているのでコミュニケーションはよいはずですが、自分の視点が昨日までの“先輩”から“リーダー”に切り替わっていない。なんだかうまくいかない…とずっと感じていました。
そんなとき、当時仕事でお会いする機会が多かった社外の大先輩から「坪井さん、最近悩んでるでしょ」と突然言われました。「メンバーのときの君はそこそこ優秀だったんだと思うよ。でもそれはなぜだと思う?それは君が一つ上の目線で『リーダーならどう考えるか』を常に考えていたからだと思う。でも君はもはやリーダーになったんだから、もう一つ上のポジション、たとえば部長がどう考えるかを考えないとよいリーダーにはなれないよ」と。それはもう、ガーンと衝撃を受けました。余談ですが、この方からはこのほかにもたくさんの学びを得ました。今でいうメンターですね。
もちろんすぐには変われませんでしたが、一つ上の目線で考えることの意味を考え続けました。たとえば同じ部署に3つのチームがあったとして、リーダーの目線だと自分のチームを起点に見てしまう。でも部長はこの3つのチームを並べて全体でどう考えるかという目線になります。
そうすると、自然に隣のチームの動きが見えてくる。自分のチームをしっかり見ることももちろん大事ですが、自分のチームが部全体の中でどういう役割なのか、部全体の目指すこととどうつながっているか。自然に優先順位にも気づきます。そして「隣のチームのリーダーともっとコミュニケーションをとってみよう」「チーム横断のプロジェクトをやってみよう」と考えるようになります。
すぐにできるようになったわけではないし、失敗をたくさん繰り返しました。試行錯誤することの大切さも体験として学びました。
こうして「部長ならどう考えるか」考え続けていたわけですが、初めて部長となったときは、また次のチャレンジでした。その後役員になったときもそうですが、いつも「一段上の立場ならどう考えるか」を戒めに、失敗してもよいからやってみるという精神を大事にしようと思っています。
役職が上がったりチーム編成が変わるときは、学ぶべき領域や必要な情報が増えたり、新たな人的ネットワークを構築しなければなりません。着任のタイミングでキャッチアップできるようにしたいというプレッシャーも常にあります。
ただ女性のロールモデルが少なかったことで、デメリットもある一方で「こうしなければならない」というものもありません。努力しつつも自然体でやりたいという気持ちはずっと持っていました。ここは鈍感力も大事だと思います。
お話してきたように、私のキャリアは想定外の異動続きでした。突然まったく違うセクションやポジションに異動して、たくさんの挫折感も味わいましたが、横浜工場長に言われた「一生学び続ける」という言葉がいつも支えになっていたと思います。「新入社員時代に言われたのはこういうことだったのか」と。
現在は一人ひとりが自律的キャリア形成をしていく時代ですが、自分の軸を大事にしつつも、少し余白というか、遊びの部分をもっているとよいと思います。“無駄”と“遊び”は違うと思います。自分の過去の経験にないこと、未知の分野であっても、トライしてみることで、新しい能力が開花することもあるし、自分の強みをナナメからさらに磨くチャンスになることが多々あるはずです。
自分の強みを磨きつつ、越境経験や多様なチャレンジをすることで、次の景色が変わってくると思います。
また、失敗することも大事です。チャレンジするから失敗する。失敗しないのは、チャレンジしていないからで、“失敗は義務”とも言えます。ある方が、「間違いと失敗は違う」といわれていました。失敗を「間違い」にせず、学びのプロセスにすることこそが、大事なのではないでしょうか。
経験やキャリアの違いはあっても、誰にでもアップダウン、失敗と学びの経験があるはずです。今日の私のように、一度ご自身を振り返って、自分の“学び”の棚卸しをしてみることをお勧めします。自分がどれほど挑戦し、失敗し、そこから学んできたか、改めて気づくこともたくさんあるのではないでしょうか。
私もこういう機会をいただいて感謝しています。
04
個人の意志と会社のDNAが重なるところを見つける
私は学生時代にライフサイエンスを専攻していたこともあり、「DNA」という言葉に格別の思いもあります。人間の体は、ほぼ一か月で多くの体細胞が入れ替わります。それでも体はそのまま保たれている。それがDNAですよね。
会社や組織で考えるとどうでしょうか。私たちはどんなに長く働いてもいつかは入れ替わる。人が入れ替わっても、そして環境変化に適応して新しいものを取り込み進化しても、カルチャーとして連綿と続いていくのがDNAです。
企業のDNAは、価値観として大事にすることと、社会での存在意義として大事にすることの両面が織りなすカルチャーだと私は思います。
キリンが大切にしている価値観 One Kirin Valuesは「熱意・誠意・多様性」です。そして私たちの社会での存在意義はグループ理念に表現されています。「食と健康の新たなよろこびを広げる」「こころ豊かな社会の実現に貢献する」。そう考えると、CSV経営は私たちのDNAに深く根付いている経営コンセプトだと思います。
またDNAは「キリンらしさ」とも言えますが、「さすがキリン」と言われるときの「さすが」の中身だとも捉えられます。世の中の企業で「さすが●●社」というイメージをしてみると「さすが」の中身はそれぞれの企業で異なりますよね。それが企業のDNAに通じるものではないかと思います。
最近は、マイパーパスという言葉もあります。キャリアコミュニケーションでは、個人の目指すこと(Will)を起点に考えていきますね。Willは「何部に行きたい」とか「マネジャーになりたい」とかいう異動やポジションの希望ではありません。その先に自分が何を成し遂げたいか、どんな価値を生み出したいかが重要です。そうでなければ、希望(Will)がかなったとたんにやることがなくなってしまって、学びを止めてしまいます。
Willが簡単に見つからない場合もあると思いますが、最初は小さくてもよいし、途中で変わってもよいのです。自分がどんなときに働きがいを感じるかを出発的に考えてみるとよいですね。個人のWillが会社のDNAとWin-Winの関係になり、それが社会に対しても価値を生み出していけると働きがいになっていきます。
もちろん、そう簡単にはつながりません。けれど、従業員一人ひとりが、自分の仕事が会社にどのような価値を生むか、さらにはそれが社会のどんな役に立っていくかをつなげて考えられるようなカルチャーが根付いていくよう努めたいと思っています。
最後に。キリングループは40年前に医薬事業に参入し、現在はヘルスサイエンス事業を拡大すべく注力しています。発酵バイオテクノロジーというコア・コンピタンスは共通ですが、事業ポートフォリオ変革・拡大は、個人と組織の“学び”がなければ実現しません。食など既存の領域でも、クラフトビールのチャレンジ、飲料でのヘルスサイエンス拡大をはじめ、事業の変革や挑戦を加速しています。さらに今後はAIをはじめとした技術革新、さらなるポートフォリオ変革が待ち受けていることと思います。
けれど私たちには、どんな時代や社会の変化の中でも、挑戦し、失敗しながら学び、進化し続けるDNAがあります。キリングループの“学び、進化し続けるDNA”で、これからも時代を切り拓いていけるものと信じています。
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