キリンに長年勤める従業員の足跡を振り返りながら、仕事人としての信念を探る企画『キリンのDNA』をはじめる。
今回語るのは、キリンホールディングスの執行役員で、コーポレートコミュニケーション部長の堀伸彦。1987年にキリンビールに入社後、各地の支社で営業経験を積み、足掛け16年にわたり広報パーソンとしてお客様やメディアとの間で、キリンという企業と商品について伝える役目を担ってきた。
いくつものアップダウンがあった。最近では、新型コロナウイルス感染症の拡大、ミャンマーの軍事クーデターといった未曾有の危機も広報の立場で経験した。キリンの広報パーソンとして大切にしてきたこととは──。
1987年4月キリンビール㈱入社大阪支社。2011年9月キリンビール広報部。2013年キリンホールディングス、コーポレートコミュニケーション部。
01
慣れない大阪。でも、いつからか大好きになった。
私が入社したのはバブル景気初期の1987年。当時、就職先のダントツ人気は金融業界でした。でも、私はメーカーに入りたかったんです。ものづくりや手触り感のある仕事をやりたかった。飲料系以外も志望しましたが、キリンビールに決めたのは「好きだった」に尽きるでしょう。我々の年代ならみんなそうだと思いますが、父親が愛飲していたのがキリンビールでした。
初めての配属は大阪市内の営業部隊。山形県出身の私からすると大阪は慣れない土地ですし、厳しいお客さんも多かったですね。他社商品を取り扱う飲食店を訪問すると塩や水を撒かれることだってあった。だけど、大阪の人って懐に入り込むとすごくかわいがってくれるんです。
大阪時代の後半に担当した業務用酒販店の社長には、本当にお世話になりました。当時70歳はゆうに超えていましたが、大柄で声も大きくとても迫力のある方でした。いつも怒られていましたが、ある時、社長が私にこう言ったのです。
「堀さんな、背中には人柄が出るもんや。ただ、自分の背中は自分では見られへん。毎日、背中を見てくれるのは家族だけや。家族は大切にせなあかんで」
きっと、長老の社長にとって、私は鼻持ちならない高慢な若造だったのでしょう。そんな若造に真摯に向き合ってくれた。今なお心に刻まれているできごとのひとつです。
02
広報としての日々。広報は情報を素材とする料理人である。
大阪には9年間いて、1994年には阪神淡路大震災にも直面しました。その後、辞令が出て、キリンビールの広報部へ異動と聞いたときは、何をするか全く想像がつきませんでした。広報という仕事を、ぜんぜん知らなかったんです。
着任してみると広報部はメディアや投資家、お客様、従業員などのステークホルダーと対話しながら企業価値を上げる部署であることがわかりました。私は新聞やテレビなどメディアの担当になり、多くの先輩や同僚に恵まれ、仕事を任せられることで自分の成長を実感できるやりがいのある毎日を過ごしました。
もっとも在籍中は、アサヒビールにトップシェアを奪われたり、3つの工場を再編したりと、キリンビールにとっても広報部にとっても激動の時代だったといえるでしょう。
でも、広報の仕事が大好きでした。広報はいろいろな部署から集まってくる素材を、適切な調理法と温度で調理し、ステークホルダーの方へお出しするのが重要な役割だと考えています。そんな料理人のような仕事が好きだったのかもしれません。
03
大切なのは「奥にある真意を汲み取る」こと。
広報部には4年間いました。そこから東北の営業企画、山形や仙台、千葉の営業を経験して、キリンビール広報部へ戻ったのが2011年です。
2013年からはキリンビバレッジ、メルシャンの広報部と一緒になり、ここ10年くらいはキリングループとしてグループ各社を束ねた広報をどのようにしていくべきなのか、各社の広報をいかに融合するのかに試行錯誤しています。
広報の役割とは、社内に片足を乗せながら、もう片足は社外に乗せておく、いわば「企業と社会の架け橋」です。社会は「ステークホルダーの声」と言い換えてもいいかもしれません。よく「広報の醍醐味は何ですか?」と聞かれますが、かっこよく言えば、企業とステークホルダーをどう橋渡ししていくかを、経営トップとも対話しながら考え、その結果として両者が大きな川を一緒に渡ることができる状態をつくることだと思います。
キリンには、さまざまなステークホルダーがいて、関心ごとも違えばキリンに対する意見も異なります。もっと言えば、ステークホルダー側にも多くの関係者や人がいて、それぞれの背景や事情があります。
つまり、ステークホルダーとの対話では「奥にある真意を汲み取る」ように意識し、やりとりするのが大事だと思っています。そのためには多くの情報を集めることが大切です。ステークホルダー側の情報とキリンの情報を統合して、関係性を作りながら対峙するのが広報の仕事です。
企業と社会をどう橋渡しするか。まさに広報の醍醐味と言っていいでしょう。
04
ステークホルダーの視点。そして、真っ当であること。
この10年で会社として変わったことはたくさんありますが、ステークホルダー視点の重要性はますます大きくなっています。今はキリンホールディングスの経営も従業員も、ステークホルダーの声をしっかり捉え、社内に循環させる文化になってきていると思います。もちろん理想ははるか高いところにありますが、広報がもっともっと機能することで、会社をさらに成長させる原動力になると思っています。
やや抽象的な言葉にはなってしまうのですが、私はキリングループを「いつも、誰が見ても、どこを切り取っても真っ当な会社」であり続けることを志に据えています。私が思う「真っ当さ」とは「ちゃんとした」や「美しい」「ピカピカの」という意味があります。真っ当な会社であるためには、そこで働く人も真っ当でなければなりません。
そのためには社外の意見にきちんと聞き耳を立て、都度向き合い、会社としての軌道修正をしていくことも欠かせません。それを促せるのが広報という立場だと考えています。キリングループのビジョンは「世界のCSV先進企業になる」ことですが、ステークホルダー視点を持つ「真っ当な会社」こそが社会課題と経済価値を両立できる会社だと信じています。
2021年には、ミャンマーでクーデターが起きました。キリンが出資していたビール会社の合弁パートナーが国軍系企業だったことから、キリンに対して世界中から人権問題への注目が集まりました。その時、経営の迅速な判断で、いち早く合弁解消を発表し、ちょうど1年後には撤退を発表、今年1月に撤退が完了しました。一緒に働いてきた現地の従業員のことを考えると辛い決断ではありましたが、関係者全員で成し遂げた真っ当な会社としての真骨頂だったのではないでしょうか。
私の役割はステークホルダーの声を受け、ミャンマーへの対応方針を会社に提言するものでした。十分できたかどうかはわかりませんが、長い会社生活と広報生活の中で、難しい局面が最も多い事案だったと思います。
つらい時に背中を押してくれるのはいつの時代も「言葉の力」です。古参社員の私に「責任ある年齢になったら大事なのは、自分の行動や発言で会社にどう貢献できるのか、その一点に尽きる」「木が元気に育つには若い枝だけではダメで、ベテランの枝が案外良い影響を与える」など、先輩からの言葉が勇気を奮い立たせてくれました。
ミャンマーやコロナ対応など激動のこの5年間。これらの言葉に支えられ、そこで「真っ当」という判断軸を得て、行動できたことは本当に大きな経験となっています。
※CSV:「Creating Shared Value」の略。「共通価値の創造」と訳され、社会的価値と経済的価値の両立を目指す、経営の指針・スタイルのこと。
05
メタ認知から見えること。
いつも反芻するのは「では、自分は真っ当なのか」という問いです。全く自信はありませんが、この年齢になって、ますます「自分は何者か」を考えるようになりました。
キリングループの一員として大切にする考え方である「誠意」「熱意」「多様性」の観点で、自分は十分なのか、自分はキリングループにどう貢献できるのだろうか……と。もしかしたら、大阪時代の得意先社長に言われた「自分の背中は自分では見られない」以来、ずっと考えていることかもしれません。
「自分は何者か」を表現する言葉に「メタ認知」があります。コーチングの勉強をしている時に覚えたものです。自分は何者か、自分を高い次元(メタ)から客観的に見る力のことを言います。その訓練に良いとされるのが「日記を書くこと」らしいです。
私は日々のトップニュースを話題にした250字程度のコラムを毎朝書いて日記の代わりにしています。部員にも共有することで、読者をイメージしながらより面白い内容に構成し、読み手が気分を害する表現などが無いかを考えながら文章を推敲します。日記を書くことで内省しますし、不思議とネガティブなことをポジティブに捉える気持ちの変化が生まれます。メタ認知の獲得には終わりがないと思い、4年間続けています。
06
キリンにとっての温故知新。100年のDNAを大切に。
時代が変わろうとも広報として大切にすべきことは、変わっていません。片足は社外、片足は社内という考え方は同じです。
そして、広報に大切なものといえば「共感力」。ステークホルダー、メンバー、上位者とのコミュニケーションでは、相手が主役であるという意識が大切です。相手の立場で物事を考え、共感を示すこと。特に現代では共感力が足りないがゆえに、問題が起きる場面が多いようにも感じます。共感力を高めるには、前述した「奥にある真意を汲み取る」ことが大事なのは言うまでもありません。
真っ当であること、メタ認知で自分を知ること、共感力を磨くこと……すべてがつながります。視点を自分だけに持たず、俯瞰して見ることが大切です。
広報部門は外部とのコミュニケーションだけでなく、企業の歴史をアーカイブする役割も担っています。私は「歴史のある会社にしか歴史を語れない」という当たり前の言葉が大好きです。だからこそ、歴史があるキリンの従業員には歴史を知ってほしいと思います。
100年を超えるすべての歴史を、すべての従業員に理解してもらうのは無理なので、昨年から「語り継ぎたいキリンの歴史30」という対話集会を始めました。創業以来、キリングループに何があったのか、CSV経営につながる出来事は何だったのか、「品質本位」「お客様本位」はなぜ生まれたのか……など、キリンの歴史上の出来事を30個ピックアップし、歴史を編纂する担当者と私自身のエピソードを交えて語る会です。まだ草の根運動ではありますが、関心を持ってくれる部署に、少しでも歴史を学んでいただければと思って開催しています。
私たちキリンには「品質本位」「お客様本位」という、経営の原点ともなる大切にしている言葉があります。そのDNAを継承することで「真っ当」なキリンが続いていくのだと思っています。
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